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2011年3月 9日 (水)

ジョージのドキュメンタリー映画に一抹の不安

ジョージの映画に関してMIXIの方でアップした文章を転載します。

ジョージのドキュメンタリー映画「Living in the Material World」に関する情報が乏しい中、2年前出会った、映画の日本での資料担当者、Ethan Greenさんと連絡をとった。

彼の話によると、彼が集めた資料は殆ど使われることがないということで、彼自身も苛立っているとのこと。彼はNHK、シンコーミュージックなどへ出向き、66年ビートルズ来日時の映像、写真、その他の資料を大量に収集し、NYの映画製作会社へ送っていたが、それらが殆ど使われないかもしれないというのだ。これは別の言い方をすれば、映画の中で日本に関することは殆ど扱われないということではないだろうか。(そうでないことを願っているが)

自分はジョージ・ファンなので、もし日本でのことが扱われないならば、残念というより悲しい気持ちになる。この映画のために、私の知り合いを通じて91年来日時のジョージの写真を提供してもらい、Ethanさんに渡したが、それも恐らく没だろう。その写真の中にはジョージが広島の原爆資料館を訪問した時の写真が数枚あった。豪華本「LIVE IN JAPAN」にも描かれているが、資料館でジョージは原爆の惨状を目の当たりにして大きなショックを受けたようである。「(広島での)コンサートに来た人たちの中にも、被爆した人たちがいるのだろうか」といった内容のことを綴っている。ジョン・レノンもポール・マッカートニーもリンゴ・スターも、この原爆資料館を訪れたという話は聞いたことがない。おそらくビートルズの中で唯一原爆投下後の惨状を知った人ということになる。さらに、深く物事を考えるジョージは「平和」の意味をここで自ら問い直したのではないか、と私は推測するのだが。

僭越ながら、こうしたエピソードを通じてジョージの内面的なことを映画でぜひ表現して欲しいと、何度となくEthanさんにお願いしておいたのだが、結果としてNYのスタッフには理解されなかったようだ。おそらく政治的なこともあるだろう。ただ、そういったものを乗り越えてジョージのドキュメンタリーを作らなければ、スコセッシ監督のいうところの「ジョージの精神を描く」という目的は果たせなくなるのではないだろうか。もし「精神」というものがジョージの信仰的なものを指すならば、映画はつまらないものになりかねないと思うのだが。

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