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2010年12月27日 (月)

1960年12月27日―ビートルズにとって大きな転機となった日

今から50年前の1960年12月、1回目のハンブルグ巡業から戻っていたポール、ジョージ、ピート・ベストは虚無感に襲われていたようです。この年の8月17日から11月までのハンブルグでの長期巡業では、彼らは技術的に大きな進歩を遂げたにも拘らず、ジョージが未成年でナイト・クラブで働いていたということでリバプールに戻され、ポールとピートも放火の容疑で国外追放となり、ハンブルグでは中途半端な形で興行が終了し、結局大きなことが起きなかったことから彼らはかなり失望してしまっていたようです。しかし、大きな転機はその後に待ち受けていました。

日本では何故かキャバーン・クラブでのギグばかりがクローズ・アップされますが、実はもっと大切なビートルズの「ターニング・ポイント」となるコンサートが、この1960年12月に行われています。

                                                      

Casbah3人よりかなり遅れてジョンがハンブルグから帰国しますが、ジョンはシンシアに「もうビートルズは終わりだ」とほのめかしていたほど意気消沈していたようです。一方、ポールとジョージは親に言われてアルバイトをしながらも、ジョンと連絡をとっていたようです。そしてその後ようやくジョンも再起を決意し、まず12月17日にピートの母親が経営する「カスバ・クラブ」(写真)でギグを行います。当時、ピートの親友だった二ール・アスピノルが手書きで“Return of the Fabulous Beatles!”というポスターを作り、ビートルズのハンブルグから帰国後初のギグの宣伝をします。技術的に大きく成長したビートルズのパフォーマンスに客は大変驚き、興奮したと伝えられています。ただしこのカスバでのギグは「会員制」であったため多くの人たちが観られたわけではなく、まだビートルズはリバプールの一地域のみで話題になっていただけでした。

                                                      

                                                                                                    

Grosvenorそして12月24日にはリバプールのグロスヴェナー・ボールルーム(写真)で真の意味での帰国後初のパブリック・パフォーマンスが行われます。このコンサートもかなり盛り上がったようですが、今までのファンが多く観に来ていたということで、新たな展開を生むものではなかったようです。

                                                      

                                                      

                                                                 

Litherland_hall2

そしていよいよ12月27日、リザーランドのタウン・ホール(写真)のボールルームでのコンサートの日がやって来ます。リザーランドはリバプールでもかなり北にあり、この地域ではビートルズはまだ無名でした

 

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このリザーランドのボールルームでは1500人という、ビートルズがそれまで行ったコンサートの中でも最大級の規模のもので(ビートルズは“Silver Beats”〔Silver Beetlesではない〕というグループ名で同じ年の5月にもここで、他の主演グループの休憩時間を埋める演奏をしていますが)、作製されたポスター(左の写真)には「ハンブルグから戻って来たばかり」という意味で使ったのだと思われる“DIRECT FROM HAMBURG”という言葉が付け加えられ、それを見た観客はビートルズを「ドイツから来た」ドイツ人のグループと思い込んでいたようです。

    

                                                      

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スチュアート・サトクリフがハンブルグから帰らなかったため、ベーシストにはチャス・ニュービー(左の写真)を迎え入れます。(ポールがベーシストになるのはチャスが抜けた後)

                                                      

                                                      

                                                      

いよいよコンサートの開始!ポールが“Long Tall Sally”を歌うや否や、観客(特に女の子たち)は金切り声を上げステージにどっと押し寄せます。いわゆる“Beatlemania”誕生の瞬間です。そしてジョンがジーン・ヴィンセントの“Dance in the Street”を、ジョージが“Everybody's Trying To Be My Baby”を歌い、会場は興奮のるつぼとなります。このあと、どこへ行ってもビートルズのコンサートではこの「現象」が起きるようになります。(最終的には世界中に広まるわけですが)ジョンとポールが出会ってから3年半、過酷なハンブルグ長期巡業を経て、ようやく一般の人々がビートルズの才能に気がついた一瞬でした。この後、正式デビューまではまだ時間がかかりますが、マーク・ルーイソンが言うように「ビートルズのキャリアにおけるターニング・ポイント」となった重要な出来事が、50年前の12月27日に起きたわけです。この日の客はコンサート終了後も興奮状態から覚めなかったようで、ピート・ベストは「興奮した子たちによって自分たちの車にいたずら書きがされていたが、こんなことは初めてだった」と語っています。ジョージはひとこと、「ちょっと爆弾を落としてやったんだ」。

「ターニング・ポイント」となったこのリザーランドのタウン・ホールでのコンサートこそ、もっと私たちが注目しなければならないものであるように思います。3年半に及ぶ下積み、ハンブルグでの過酷なギグを経て力をつけ、自分たちの才能を開花させ、運命の扉を開けることになったわけです。自分たちの才能を信じて努力を惜しまなかったこと―ビートルズが私たちに教えてくれることはこの点にあるのではないでしょうか。今いろいろ開催されている「ビートルズ講座」はビートルズが成功してからのことばかり、些細なことばかりを取り上げ、成功までの苦悩の道のりについて語る人は少ない。こう言うと「リザーランドのことなど知っている」と言う方も多いでしょうが、知っていても実際に詳しくこのエピソードを語り、この出来事の重要性を述べることはめったにないような気がしますが、いかがでしょうか。ビートルズの行ったことで何が重要なのかを見極めないと、誤ったビートルズ像を伝えることになりかねません。

リザーランドでのコンサートのことはハンター・デイヴィーズによる伝記に書かれていますので、是非ご覧下さい。読んでいくうちに不思議と当時の様子が頭に浮かんで興奮して来ます。(笑)

今日は、日本ではあまりクローズ・アップされないリザーランドでのコンサートのエピソードを取り上げてみました。ビートルズにはいくつかの重要な日がありますが、50年前のこの1960年12月27日はマーク・ルーイソンが言うように「ターニング・ポイント」としてビートルズの歴史に深く刻まれるべき日なのだと思います。

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