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2010年9月

2010年9月30日 (木)

12 BAR ORIGINALとGREEN ONIONS

コアなファンの方はご存知だと思いますが、アルバム“ANTHOLOGY 2”に収録されているBEATLESのインストゥルメンタル曲“12 BAR ORIGINAL”は、BOOKER T & THE MGsの“GREEN ONIONS”という曲にそっくりです。“GREEN ONIONS”は1962年に発表されていますが、恐らくビートルズはこの曲を意識して、1965年頃、レコーディング中にお遊び程度に(初めからリリースするつもりはなく)演奏したのではないかと思われます。それにしてもよく似ています。

12 BAR ORIGINAL : http://www.youtube.com/watch?v=NtAC5vRa8GE

GREEN ONIONS : http://www.youtube.com/watch?v=_bpS-cOBK6Q&feature=related

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2010年9月27日 (月)

JULIAN LENNONの写真展“TIMELESS”

                

     

ジュリアン・レノンの写真展“TIMELESS”の内覧会がニューヨークで開催され、ジュリアン、ショーン、そしておそらく初めてヨーコ、シンシア、メイ・パンが一堂に会したようです。それ以外でも、パティ・ボイドやビートルズのシェイ・スタジアム公演をプロモートしたシド・バーンスタイン、写真家ボブ・グルーエンも来訪。ROLLING STONE誌の写真を見ると、にぎやかな雰囲気が伝わってきます。(WINGSFANさんのブログから情報を頂きました。有難うございます!)

WINGSFANさんのブログ記事 http://wingsfan.blog64.fc2.com/blog-entry-4917.html

ROLLIG STONE誌のサイト記事 http://www.rollingstone.com/music/photos/28431/205631/0

それにしても、この記事での特筆すべき話題は、長い間反目し合っていたジュリアンとヨーコの仲の良さそうな姿。さらにシンシアも一緒に写真に納まり、わだかまりは払拭された様子です。

ショーンはジュリアンに次のアルバムの写真を撮って欲しいと言ったそうです。しかもタダで。(笑)

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2010年9月23日 (木)

BEATLES MEMORABILIA THE JULIAN LENNON COLLECTION

               

Julian_lennon_book楽しみにしていたジュリアン・レノンのビートルズ・コレクションを紹介する本、 “BEATLES MEMORABILIA  THE JULIAN LENNON COLLECTION” が届きました。ほぼ全ページにわたってカラー印刷で、ハードカバーのしっかりした作りのこの本(洋書)が2769円というのも嬉しいですが、ビートルズ・コレクターにとっては最後のページまで楽しめる内容ということの方がもっと嬉しいでしょう。ジョンの生誕70年ということで記念発売となるリマスターCDの方が話題となっていますが、私はこちらの本も推したいですね。

ジュリアンのサイトで既に紹介された品目もありますが、多くのものは初公開。ビートルズ及びビートルズの家族がこのような本を出すのは珍しいことだと思います。(リンゴが他の3人からのポストカードを紹介する本はありましたが)ジュリアンは20年以上前からビートルズ・コレクションを始めたとのことですが、初めは父親のジョンからもらった2本のギターを含めて数点しか持っていなかったそうで、その後、オークションを通じて多くの品物を購入、蒐集していったようです。ジュリアン自身による前書きに、「オークションでいつも落札できたわけではないが、同時に入札している人が、『自分と競っているのはジュリアンだ』とわかると、入札を取り下げてくれるという素敵なこともあった」というエピソードが書かれています。

ビートルズ・ファンならば、「おおっ!」と思うものが沢山掲載されていますが、私個人としては、“ALL YOU NEED IS LOVE  OUR WORLD 6:50”とレーベルに書かれてあるEMIのアセテート盤、日本の葉書に書かれたジョンの未発表の詩、軽井沢万平ホテルからジョンがジュリアンに送った絵葉書、ポールが親しい200名の人たちだけに贈った“FLAMING PIE”のテスト・プレスとジュリアンへの手紙、そしてジュリアンがオークションで落札した時にマスコミにも報道された、ポール直筆の“HEY JUDE”のレコーディング・メモなどが興味深かったです。ページをめくるごとにわくわくしてしまいました。

ジョン・レノン・ミュージアムがあと1週間でなくなってしまいますが、このジュリアンの本はその「穴」を埋めてくれる素晴らしい「読む」博物館です。実際にもジュリアンはこの本に掲載されているメモラビリアで、“WHITE FEATHER: THE SPIRIT OF LENNON”という巡回形式の展示会を始めています。いつの日か、日本でも公開して欲しいものです。

この本の最後のページには、ギターを持つ3人(ジョン、ジュリアン、ショーン)の昔の写真と、肩を組んだ現在のジュリアンとショーンの写真が掲載されています。

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2010年9月21日 (火)

アルバム“IMAGINE”のEXPORT盤

                                    

                  

Imagine_export_1ネットを見ていたら、かなり珍しいレコードを見つけました。ジョン・レノンのアルバム“IMAGINE”のEXPORT(輸出仕様)盤です。ただUKのオリジナル盤を輸出するというならば、それほど珍しくないのですが...。

                                                        

                          

                          

                          

                                                      

                                                       

                                                      

Imagine_export_4

この盤のレーベルを見てもわかるとおり、デッカ・プレスのようなのです。私はUKオリジナルでデッカ・レーベルを見たことがありませんでしたので、「おっ!」と思いました。

                          

                          

                          

                          

                                                           

                                                      

                                                      

                                                      

Imagine_export_3_2

そして、例によってアップルのマークの上にパーロフォンのステッカーが貼られています。因みにこのレコードはニュージーランドに輸出されたもののようです。

                          

                          

                          

                                                      

                                                      

                                                      

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マトリックスは両面とも1Uですので、初期盤ということになります。

                                                      

いやーっ、いろいろあるものですねえ。でも音は同じでしょうから、あまりどうだということはないのですが...。

                                           

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2010年9月16日 (木)

『生かされている限り・・・ 六度のガン手術と闘った熱血英語教師』

    

松本亨先生(松本亨高等英語専門学校)のことを記事に書いたところ、SEさんという方から、私が1974~1976年に松本亨高等英語専門学校に通っていた時ご指導頂いた斎藤文一先生のご消息を教えて頂きました。

斎藤文一先生の音声指導は素晴らしく、また時々折り込む英語のジョークが授業で大受けで、あの学校の中で私が最も好きな授業でした。音声指導というと、堅苦しくなってしまうか、遊びになってしまうか両極端ですが、斎藤先生の授業は「楽しくて身につく」ものでした。今でも先生から教えて頂いた音声の知識は、授業で活用させて頂いています。

SEさんから、斎藤先生がその後松本専門学校を離れ、何と大学受験予備校の河合塾で教えられ、そして1996年に亡くなられたことを教えて頂きました。これは私にとっては大きな衝撃で、あんなに元気であられた斎藤先生がガンになるなど、想像もできなかったからです。今でもどこかで元気に“Think in English!”と大きな声で授業をしておられるだろうと思っていたのです。

P1010311SEさんから、斎藤先生が書かれた本があることも教えて頂き、すぐに購入いたしました。タイトルは『生かされている限り・・・ 六度のガン手術と闘った熱血英語教師』。この本の中には、私が知っている斎藤先生と、その後の私の知らない先生のお姿(河合塾講師として、そして一家族の父親としての)が克明に綴られていました。さらにガンと闘い、最期まで英語教育に情熱を傾け、亡くなる直前までMartin Luther King Jr.の演説を諳んじておられた先生。大きな声であの演説を授業でデモンストレーションされていたお姿が今でも目に浮かびます。そしてハッとしたのが、先生が亡くなられた年齢がまさに今の私の年齢で、命日が9月15日(この記事を書いている前の日)だということを知った時です。今、英語教師として教鞭をとっていてもサボっている私に「私が言っていたことを忘れたのか!Think in Englishだ!」と先生が怒鳴りつけているような気がしたのです。

高校生の時の、そして大学浪人をしていた時の自分の英語に対する情熱を呼び起こされたような気持ちになりました。 53歳で亡くなられた斎藤先生、そして53歳でまだ迷いながら生きている自分。 斉藤先生の考えておられた英語教育に近いものを、一歩ずつでもやっていきたい。そう発奮させられたご著書でした。

斎藤先生のご遺志を継ぐ英語教師になれるように精進したいと思います。

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2010年9月15日 (水)

ちょっと違うLET IT BE

            

    

LET IT BE 40周年にしてはあまり世の中ではその話題が出てきませんので、ここでマニアックな話題を。

                                                      

LET IT BEのアルバムはUKタイプですとシングルのジャケット、USタイプだとゲート・フォールド(後にUSもシングル・ジャケットになりますが)、ネットを見ているとたまに変ったジャケットを見かけます。                                                   

Let_it_be_danish_2

これはデンマーク盤のジャケット。UK盤タイプですが、なんとフリップ・バック(折り返し)部分が白!! 何でこんなのになってしまったのでしょうか。何か違和感がありますが、コレクターはこういうものも集めたがるのです。(笑)

                                                      

                                                      

                                                      

                                                      

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LET IT BEはご存知の通り、UK盤や日本盤は当初ブック付きで売られていましたが、その後、ブック付きがなくなってからのリイシューは何か物足りない感じがしていました。しかし、このアメリカ盤リイシューはカラー写真のインナー・スリーブと、大きなポスターがついていてファンにとっては「買い直し」として最適のものだったと思います。

                                                      

                                                      

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こちらがそのカラーのインナー・スリーブです。シングル・ジャケットになったため、インナー・スリーブに、もともとゲート・フォールドの内側にあった写真を印刷したのだと思います。

                                                      

                                                      

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そして大型のカラー・ポスター。リイシューには見向きもしない人でも、このUS盤リイシューはオマケが充実していますので、持っていてもいいのでは。(私は「グリコのおまけ」で育った世代なので、こういうものにはついつい手が出てしまうのです。〔笑〕)

                                                      

                                                      

                                                      

Let_it_be_decca

最後にちょっと変ったものと言えば、このUK・EXPORT(輸出)盤のレーベルです。ご覧の通り、EMIワン・マーク(これはよく見ます)で、しかもレーベル内側に溝があるデッカ・プレスということがわかります。これも最近ネットで見かけました。これ以外にもEXPORT盤では、コロンビアのロゴのものがありますが、とんでもない値段になっていますので迷わずパスですね。

昨年もABBEY ROADでやった「ちょっと違う~」の記事、LET IT BE版でした。

                                

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2010年9月 9日 (木)

「家紋主義宣言」(河出書房新社)―日本の精神文化伝承の道標

今日は9月9日、重陽の節句。古代中国では「九」という数字は最高のものとされており(「十」は数の頂点に立つものですが「満つれば欠ける」という意味から好ましくないとされています)、「陽」が満ちて極まっている状態で、最高の数、天の数とされたのだそうです。九月九日はその「九」(つまり陽)が二つ重なっているので、重陽と呼ばれています。

中国から日本にこの重陽の節句が伝わり、「菊の節句」とも言われて菊を鑑賞し菊の花を浸したお酒を飲んで不老長寿を祈念しました。栗飯を炊いて祝う風習もあり「栗の節句」とも言われています。しかし残念ながら日本では、陰暦から太陽暦に変えられたときに9月9日が菊が咲き誇る時期ではなくなってしまったため、明治時代以降に廃れてしまい、現在では殆どこの節句を祝うことはなくなってしまいました。

このように一国の文化、風習というものは、時代の変化によって消えてしまうことがあります。特にこの日本では、明治維新、太平洋戦争敗戦を経て、消えてしまった風習が少なくありません。先日紹介いたしました民俗学は、昔から伝えられているもの(習俗、口承文芸、民具など)をフィールドワーク、聞き書きを行い、掘り起こす学問なのですが、まだ僅かに残っているものを書き記し保存しながら「伝承」する役割も持っていると思うのです。とにかく誰かが書き留めたり、ものを保存したりしなければ、ただ消滅してしまうだけです。そしてそうすることによって、自分の先祖に思いをはせるのが民俗学であると思うのです。さらに、何らかの形で今、そして未来に過去のものを活かせることもあるであろうと思うのです。

  

Photo前置きが長くなってしまいましたが、何故ここのところ民俗学の話題を記事にしてきたかと言いますと、最近拝読した『家紋主義宣言』という本に、この民俗学的な「伝承」の部分を強く感じたからです。『家紋主義宣言』の著者であられる西村昌巳さん、このブログにもコメントを頂いている「まさむねさん」がお考えのテーマは実に壮大なもので、今後大きく変ってしまうであろうこの国の精神文化を、「家紋」を通して「伝承」を図っていこうとする力強い宣言として、私は強く感銘を受けた次第です。第一章で、まさむねさんは次のように語られています。

「日本人ならば誰でも持っている家紋には、少なくとも自分の先祖の誰かが、そのシンボルを選択したという動かしがたい事実がある。家紋には、はるか先祖が抱いた切実な祈りや、誰にも負けない誇りや、曲げられない反骨心や、美意識の結晶や、ささやなな願望が込められているのだ。家紋を眺めていると、僕らの先祖が現代の日本人一人一人に静かに語りかけてくれる様々な物語がほのかに浮かび上がってくる。そんなロマンチックな眼を開いてみよう。それが僕がこの『家紋主義宣言』で一番言いたいことである。」

この一節を読ませて頂いた時、まさむねさんの並々ならないお気持ちを感じ、今後もこのブログで、何回かに分けて自分の感じたところを述べさせて頂こうと思いました。

まさむねさんは実に幅広い知識をお持ちの方で、このご著書にも、歴史、文学、音楽、そしてプロレスと、多岐にわたる知識を通じて「家紋」の話を展開されています。その意味では、大変読みやすく、説得力に溢れた内容で、家紋に全く興味がなかった人でも必ず引き込まれてしまうと確信します。たとえば「ジョン・レノンにも家紋がある」と言われたら、このブログを読んでくださっている方々は、「えっ?」と思い、興味を惹かれるのではないでしょうか。(笑) 今年ブームとなっている坂本龍馬も、家紋を通して見つめてみると、その人物像が浮かび上がってきます。また、歴史上の人物だけでなく、ミスチル、w-indsをはじめとして現代のアーティスト、芸能人、政治家、文学者などをあげられ、まさむねさんの「守備範囲」の広さに驚かされ、彼らの家紋を通して展開されるこの本の深い内容に感動させられてしまうのです。

是非、まさむねさんのこのご著書をご一読頂いて、皆さんがご自分のお家の家紋を通じて先祖に思いをはせ、その家紋に込められた意味を知って頂き、さらには現在を、そして未来を生きるための道標として頂ければと思います。

重陽の節句の日を敢えて選び、つたない文章ですが、素晴らしい一冊の本を紹介させて頂きました。今後も『家紋主義宣言』に関する記事を書かせて頂こうと思っております。まさむねさん、ご指導、ご鞭撻の程、よろしくお願い申し上げます。

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2010年9月 7日 (火)

古いものに魅かれる

     

自分がビートルズのコレクターであることと、民俗学を学んだこととは、ある共通の意味があります。

P1010365自分にとってビートルズのコレクション、とくにUKのオリジナル・レコードやツアー・パンフ、チケット半券などを集めることは、それらのものを聴いたり、読んだり、手にすることによって、ビートルズを「感じる」ことになります。自分が実体験できなかった時代(その時代に生きていましたが、ビートルズには興味がありませんでした)に思いをはせ、擬似体験というか、実際に「感じて」みることにほかなりません。古ければ古いものほど、頭の中でその時代を思い巡らせ、思い描くことが楽しくなります。

   

大学時代に学んだ民俗学は柳田國男が言っていたように、「実感の学」なのです。机の上だけでなく、実際に村へ足を運び、村の古老達に話を聞き、昔の民具などを手にし、過去を「実感」してみる学問なのです。このあたりが、ビートルズの「資料集め」やビートルズに会った方のお話を聞くことと共通するわけです。昨年まで行っていたTHE BEATLES TEA PARTYの意義も、ビートルズと会った方々のお話を聞いて、自分もその時その場所にいたらと想像してみる、感じてみることにありました。

もうビートルズ・コレクションも完結に近づいている今、「ビートルズ・オタク」と呼ばれることに抵抗はないのですが、コレクションを「保存」して夜毎ニタリと笑っているようなことが目的ではなく、物凄かった60年代に思いを寄せることが目的と考えると、自分のコレクションを「ビートルズ民俗学資料」或いは「ビートルズ実感学教材」という範疇で捉えたいので、「ビートルズ資料蒐集家」とか「ビートルズ学芸員」とか呼ばれる方がちょっぴり嬉しいですね。

何だか自分で書いていることが分からなくなってきたので、もう寝ます。お休みなさい。

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2010年9月 6日 (月)

恩師・野口武徳先生のこと

                

今日は自分が大学時代に出会った素晴らしい恩師と学問に関して書いてみたいと思います。これは近く書かせて頂きます、まさむねさんのご著書「家紋主義宣言」に関する記事と関連すると思ったからです。

恩師の名前は野口武徳先生。先生は、沖縄研究、「家船(えふね)」の研究(陸に上がらず船上生活をする人たちの研究)、そして日本の文化に関する解説(昔、フジTVの昼のニュース番組で解説をしておられました)など、民俗学、社会人類学の学者としてご活躍、また多数のご著書がありました。また、元巨人軍川上哲治監督のお宅に、若き日の長島茂雄氏と一緒に下宿し、川上氏の息子さんの家庭教師をしておられたこともあったそうです。

P1010358先生のご著書で私が最も感銘を受けたのが、この写真の「沖縄池間島民俗誌」(未来社)です。まだ沖縄がアメリカから返還される前の昭和36年3月から半年間、八重山諸島の小さな池間島に民俗調査のためにわたられます。この本でもっとも先生のお人柄を知ることが出来るのが、第三部の「わが回想の池間島」です。その中から引用させて頂きます。

「沖縄本島や石垣の人は宮古を悪く言い、何か一段低い田舎者のような言い方をするし、沖縄の新聞は犯罪記事のときに宮古出身者が犯人のときには『またも宮古生まれ』などという表現を用いる。また宮古に行くと池間の人を何か異人種の如く言う。要するに日本の縮図だと思えばよいし、何も本質的なちがいはないのである。それを寄ってたかって、自分達とはちがうと言っては安心している姿勢である。本土の人間の沖縄の人に対する偏見や差別ということがよく問題になるが、沖縄の中にもあり、もっとひどいかもしれないとさえ思う。池間の人たちにあなた方は誰を差別するのかとたずねると、『差別したくともする島がない』という答えが返ってきた。私は差別する対象を持たない島を選んだことをことのほか喜んだ。」

この箇所の内容は、先生は大学の講義でも必ずお話をされていました。先生は大学の学部での卒論が、差別をしいられている家船の研究であり、また小学校時代を韓国のソウルで過ごされ、友人も韓国人が多かったこともあり、偏見や差別の観念をもってはおられなかったとのことです。

このような社会人類学、民俗学の教授であるだけでなく、人格者であられる野口武徳先生に大学時代に師事したことは、私にとって人生の貴重な財産となりました。特に1979年の沖縄宮古島へのゼミ調査旅行は忘れられない大切な思い出です。

宮古島に着いてから、学生(私を除くと全員女性)がそれぞれ自分の研究テーマにそった調査に出かけると、野口先生は私に「調査に行く時間はいくらでもある。君は今日はここに残って私と一緒に飲むのをつきあってくれ」とおっしゃるのです。昼間から、山羊刺し、海ぶどう、ミミガーなどをつつきながら泡盛を飲み続けるのです。(この頃の私が人生で一番酒に強い時期でした)泡盛は決まって「菊の露」です。今でこそ東京でも手に入れることができますが、当時は宮古でしか飲めない泡盛でした。飲んでいた場所は宮古島の平良市にある「来々軒」という古い食堂の2階の座敷。ここは戦前は立派な料亭だったとのことで、いろいろと当時のお話をご主人の羽地栄さんから伺いました。(のちに1980年代中頃、山下清をモデルにしたTV番組「裸の大将」で宮古島ロケが行われた時、この来々軒が宴会のシーンの場所になりました。TVに突然来々軒が出て来てご主人の羽地さんが現れた時、大変驚き、またとても懐かしくも感じたものです) 先生と一日中飲んでいる時に、ご主人がポロリと昔の話をすると、野口先生の目が輝き、「君、ノートをとっておいてくれ」と言うのです。こんな民俗調査の仕方ができるのは野口先生だけではなかったでしょうか。

卒論の指導は厳しく、「君はもっと文章がうまくならなければいけない。私が学部生の時に自信がもてたことは自分の文章力だったのだよ」と指導されたことは今でも忘れません。未だに文章が下手なのは変らないのですが。そして先生のご指導のお蔭で、その年度の「日本民俗学会卒業論文発表会」に大学の代表として参加させて頂きました。テーマは「無墓制の問題」。墓を持たない村の調査をもとに、日本の墓制研究に一石を投じよう、などと大それたことを考えていました。(全くそんなことはできませんでしたが) 

P1010362大学卒業後数年が経ったある日、墓制研究の一人者であられる新谷尚紀先生から直々にお電話を頂き、自分のつたない卒論をお貸ししたことがありました。そして新谷先生のご著書に私の卒論、調査のことを載せて頂くことになり、大変恐縮してしまいました。この写真がそのご著書「両墓制と他界観」(吉川弘文館)です。この本が出版される5年前の1986年1月、野口先生は突然お亡くなりになり、前年父親を亡くしていた私にとっては、心に大きな穴があいた辛い時期を過ごすこととなりました。

野口武徳先生と民俗学との出会い。忘れようとしても忘れることができない私の人生の1ページです。目黒第一中学で英語を指導して頂いた伊藤寿子先生、英語の真髄を教えてくださった故・松本亨先生とともに私にとって大切な師であり、私の人生に英語以外の世界を示してくださった恩師、野口先生に深く感謝を申し上げる次第です。自分が人生を終えて、あの世で野口先生とお会いできるようなことがあるとすれば、きっとまた「菊の露」を酌み交わすことになると思います。(笑)

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2010年9月 5日 (日)

今ジョンのラスト・メッセージを思い出す

“Produce your own dream.  If you want to save Peru, go save Peru.  It's quite possible to do anything, but not if you put it on the leaders and the parking meters.  Don't expect Carter or Reagan or John Lennon or Yoko Ono or Bob Dylan or Jesus Christ to come and do it for you.  You have to do it yourself.”

「自分の夢は自分で作るのさ。ペルーを救いたかったら、ペルーを救いに行けばいい。何をやるのも可能だけれども、リーダーたち、つまりパーキングメーター(お金を入れなければ動かないという比喩)にやらせようとしても不可能なんだよ。(ジミー)カーターや(ロナルド)レイガン、ジョン・レノンやオノ・ヨーコ、ボブ・ディランやイエス・キリストがやって来て君たちのためにやってくれるなんて思わないことだよ。自分でやらなければダメなんだよ。」

ジョンのプレイボーイ・インタビューのこの部分は、いつの時代にも通用する「真理」だと思うのです。この箇所以外でも、「リーダーにはついていくな」「パーキング・メーターには気をつけろ」と何度となく語っています。ジョンが生きていたならば、今の日本のリーダーになろうとしている人を同じように考え、日本人に同じように呼びかけたかもしれません。

人類の歴史で、いったい何人の「リーダー」が現れ、そして消えていったのでしょうか。使い古されたリーダーはいともたやすく捨てられ、また新しいリーダーが現れる。その中には、独裁者となり自分が生き残るために多くの人たちを殺していった人間もいます。そしてその多くは民衆に向かっておいしい話を必ずして、結局裏切ったり、挫折したりするわけです。

私は、特においしい話ばかりをしている人をリーダーに選ぶのは危険だと思っています。(「国民のために」を連呼しているのはまさにそれです)おいしい話の裏側には必ず危険な部分があるからです。今、日本の首相になろうとしている人がやると明言していることも同じです。そして反対意見を押し切って、危うい国に近づき、拉致被害者の家族の人たちの要望を抹殺するのも目に見えています。(小沢さんを支持している田中真紀子さんも拉致被害者には大変冷たい人です) また、財源もなしにお金をばら撒くことも、この国の将来に大きな危険をもたらすでしょう。ご本人は官僚を追及すればもっと出てくると言っていますが、さてどうでしょう。このような現実逃避、現実離れした考え方では、ますます国は混乱するだけです。そしてさらに、最近の言動をみても、ちょっと前に言ったことをいとも簡単に覆しています。この辺は前首相と同じです。首相になったらブレまくるのでは?そして性格からいっていろいろなことを強引に押し切ってしまうでしょうね。「彼ならば何とかしてくれるのではないか」などと思わないことです。世の中にはそのような幻想を抱いてしまう人もいるのではないかと思いますので。

「政治生命を賭けて」と言って、「歴史に名を残す政治家になりたい」という気持ちが見え隠れします。これではオバマ大統領と一緒で、自分の名誉欲で国政をやってもらっては迷惑するのは国民です。

「パーキング・メーターには気をつけろ!」 ジョンのラスト・メッセージを今ここに記し、もう政治の話はやめようと思います。ブログで何を言っても、選挙さえできない状況なのですから。(これもおかしな話ですが) 兎に角、 「リーダー」に頼らずに、しっかり生きていきたいものです。

昨年から続いてきた政治の話ですが、もうこの辺にしておきたいと思っています。ビートルズ・ファンの方は政治に興味をお持ちでないかもしれませんが、皆様からのご意見をお待ちしております。もちろん反論でも結構ですので。

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2010年9月 4日 (土)

ビートルズを描いた歯科医・その2

2日に永井先生のお通夜へ行って参りました。

葬儀場の入り口にはサーフボードが並べてあり、永井先生ご愛用のものだとすぐわかりました。参列者が大変多く、永井先生の生前のお人柄が偲ばれます。

永井先生のHPをみると、ビートルズのコーナーがあります。先生は本当に多趣味だったようですが、ビートルズもお好きでいらして、その部分で少しでも私が先生と繋がることができ、嬉しく思いました。

先生のHPのビートルズ・コーナーは以下のURLで。

http://mirror.rudynagai.net/newpage88.html

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