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2010年6月

2010年6月25日 (金)

W杯 デンマーク戦占断検証というより反省会

  

  

デンマーク戦が終わりました。皆さんもご存知の通り日本の勝利でベスト16ということになりました。めでたし、めでたし!

WBCの時のように、占断を振り返ってみます。「検証」というより「反省会」と言った方がいいかもしれません。

先日の占断は以下の通りでした。「  」内は先日の占断内容。―――のあとは私の検証(反省)。太文字の部分は的中したかなと思われる箇所。

(両チーム監督の運勢)

「オルセン監督=急速にことを運ぼうとして無理をし、困難する。短気、癇癪を起こして失敗する。口論、闘争あり。諸事無理をせず、成り行きに任せてよい結果を得る。

岡田監督=何事も手違い多く、一旦取り決めたことを変更する。仕事不振の暗示あり。」

(経過の占断)

「オルセン監督が日本に対してあせって攻めに徹してきたら(日本をねじ伏せようとしてきたら)、日本にはチャンスあり。またオルセン監督の作戦、指示、選手交代などでミスが起きる可能性あり。そこにつけ込めれば日本の勝ち。もしオルセン監督が腰を据えた采配をし、本来のデンマークのスタイルでの戦い方ができたら、日本は厳しくなる。試合当初は岡田監督が考えていたことがうまくいかず、今までの戦い方に戻す可能性あり。前半開始後はデンマークのペース。前半途中から後半にかけては日本が良い状態になる、と出ています。」

―――占断はほぼ的中でしたでしょうか。岡田監督は試合後の談話で以下のように語っています。

[岡田監督談話]

引き分けでもいいという状況で、受けに回るような戦いをしたくないということで、立ち上がりは少し攻撃的な4-2-3-1の布陣で臨んだんですが、中盤のゾーンの間を使われてボールを回され、ピンチが何回かあったので、急いで元の4-3-3に戻して何とかディフェンスが安定した後、いい形でFKから2点取ってくれました。

「いずれにせよ、一進一退の試合となり、我慢比べの様相を呈し、チャンスが来たかと思ったら、とたんにピンチとなるような試合になるかもしれません。」

―――これは大はずれ!試合の全体を見ても一進一退という感じではありませんでした。一貫して日本にとって有利な展開でした。次に結果の占断は...。

(結果の占断)

「WBCの時と同じように、相手が有利ではないかと思っていたのですが、結果は以下の通りとなりました。

『突発的な出来事により、日本の勝利或いは引き分けによって、日本がベスト16となる!』

岡田監督が驕り高ぶらす、謙虚に手堅い采配を振るえば、相手のミスを誘ったり、ラッキーなことが起きる暗示あり。」

―――特に突発的なことは起きなかったので、これもはずれかな。そして「引き分け」は不要でした。(笑) フリーキックを得点に生かせたということでは「ラッキーなことが起きた」といっていいでしょうか。

「流れから言ってデンマークの監督がシビレを切らせて、強引に出た所に落とし穴がある、或いはデンマークのファウルで日本がFKやPKを得て得点する、というものなのですが。全体的なイメージ、雰囲気は、初めてW杯出場を決めたアジア最終予選の時のような感じです。(あのイランとの試合もしんどかったですが)」

―――昔のアジア最終予選のような「ハラハラ」はありませんでした。デンマークの監督がパワープレーに出て、その結果3点目を奪えた点はほぼ的中でしょうか。またPKではありませんでしたが、FKで得点を得たことはほぼ的中ですかね。試合後、岡田監督は次のように語っています。

[岡田監督談話]

2点というのは非常に怖い得点差で、2点で終われない、もう1点何とか取りたいということで、チャンスがあったんですが取れない中で、相手が早めにパワープレーをしてきました。でも選手たちは動じることなくよく耐えてくれて、そしてカウンターから3点目を取ってくれました。

【総括】

WBCを80点とすると、今回は70点くらいでしょうか。それにしても、WBCでもそうでしたが、九星術の細かい部分での占断はよく当たると思います。あとは占う人間の技量ですね。私のように主観が入ってしまう占断では、結果が捻じ曲げられてしまいます。いかに冷静にかつ客観的に占断するかにかかっていますね。

皆さんも九星術をやってみませんか?

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2010年6月23日 (水)

W杯 デンマーク戦を九星術で占う

昨年の春に野球のWBC決勝戦を占ってから、久しぶりにスポーツの大一番の占断となります。

ご参考までに、以下は昨年3月のWBC決勝戦の占断です。

http://beatles18.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/wbc-c0ba.html

http://beatles18.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/wbc2-3360.html

WBCの時もそうだったのですが、何かいやーな予感がしているので、「はっきりさせよう!」と思って九星術で占ってみました。因みに私はサッカーにはさほど詳しくありません。(笑)

まず、占う上で大切なのが監督のデータ。

デンマーク モアテン・オルセン監督 1949年8月14日生まれ 六白金星 今年大吉

日本 岡田武史監督 1956年8月25日生まれ 八白土星 今年吉

(当日の経過の占断)

オルセン監督=急速にことを運ぼうとして無理をし、困難する。短気、癇癪を起こして失敗する。口論、闘争あり。諸事無理をせず、成り行きに任せてよい結果を得る。

岡田監督=何事も手違い多く、一旦取り決めたことを変更する。仕事不振の暗示あり。

オルセン監督が日本に対してあせって攻めに徹してきたら(日本をねじ伏せようとしてきたら)、日本にはチャンスあり。またオルセン監督の作戦、指示、選手交代などでミスが起きる可能性あり。そこにつけ込めれば日本の勝ち。もしオルセン監督が腰を据えた采配をし、本来のデンマークのスタイルでの戦い方ができたら、日本は厳しくなる。試合当初は岡田監督が考えていたことがうまくいかず、今までの戦い方に戻す可能性あり。前半開始後はデンマークのペース。前半途中から後半にかけては日本が良い状態になる、と出ています。

いずれにせよ、一進一退の試合となり、我慢比べの様相を呈し、チャンスが来たかと思ったら、とたんにピンチとなるような試合になるかもしれません。

(当日の結果の占断)

WBCの時と同じように、相手が有利ではないかと思っていたのですが、結果は以下の通りとなりました。

「突発的な出来事により、日本の勝利或いは引き分けによって、日本がベスト16となる!」

岡田監督が驕り高ぶらす、謙虚に手堅い采配を振るえば、相手のミスを誘ったり、ラッキーなことが起きる暗示あり。

うーーーーん、自分としては意外でした。WBCの時と全く同じで、年の運勢が強い監督が敗れてしまうという結果。オルセン監督の場合、月も日もいいのですが、時間の運勢では、後半が岡田監督に分があります。こういう状況ですので、WBCと同様に何かが起きそうです。流れから言ってデンマークの監督がシビレを切らせて、強引に出た所に落とし穴がある、或いはデンマークのファウルで日本がFKやPKを得て得点する、というものなのですが。全体的なイメージ、雰囲気は、初めてW杯出場を決めたアジア最終予選の時のような感じです。(あのイランとの試合もしんどかったですが)

当たるも八卦、当たらぬも八卦。外れてもどうかお許しください。(笑)

いずれにしても、大一番を楽しみにしたいですね。午前3時半試合開始というのはちと辛いが。

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2010年6月18日 (金)

18年前の6月18日

  

今日はポールの68歳の誕生日。64歳の時は“When I'm Sixty-four”にひっかけて何かイベントがあるのではないかと期待したのですが、当時ポールは離婚問題の最中にあり、家族でひそやかに過ごしたようです。

P1010084私にとってのポールの誕生日の思い出としては、“Liverpool Oratorio”の日本初演があります。いまから18年前の1992年6月18日、Bunkamuraオーチャードホールにて開催されました。左は当時のチラシです。

 

P1010085当初、S席1万5千円という価格で発売されるはずだったのですが、どういうわけか、1万2千円に値下げされました。おそらくクラシックのファンはあまり足を運ばないだろうし、普段ロック・コンサートのチケット価格に慣れている人たちにとっては高く感じるのでは、という意見が内部で出たのではないでしょうか。ちなみにこの2年前、1990年のポールの東京ドーム公演は、S席が7000円でした。

上の写真は当時のチケット半券です。ファンクラブを通じてとったのですが、なんと2列目のど真ん中。そして、会場はガラガラの状態でした。

  

P1010089ポールがステージに現れることになっていたならば、ソルドアウトになったでしょうが、ポールの曲と言えどもクラシックのコンサートでは仕方がないのかもしれません。でも私はクラシックも好きでよくコンサートへ行っていましたので、このポール初のクラシック曲の日本初演を楽しみにしていました。写真は無料で配られたコンサートのプログラムとオラトリオの日本語対訳です。

  

P1010092これは前日、1992年6月17日付の朝日新聞に掲載された公演開催の記事です。前日に出ると言うのも何かのんびりしていますが、新日本フィル創立20周年記念のコンサートシリーズのひとつとして開催される旨が報じられています。

 

肝心の公演はというと、日本人ソリストのバイオリンが素晴らしく、数日後に出た記事でも指揮をしていたカール・デイビスがべたぼめをしていました。この1日あとの19日の公演ではもっと良かったそうです。歌手の方は手抜きとは言いませんが、歌詞を間違えていたりで、イマイチでした。男性歌手はアルバムと同じでしたが、残念ながら女性歌手は2人とも別で、特にキリ・テ・カナワでなかったのが残念でした。

当時の会場の様子として印象に残っているのが、楽章の合間にガサガサと入場してくる客を、指揮者のカール・デイビスが客席に振り向いて睨んでいたことです。そして同時に女性歌手がニヤリと笑っていたこと。「やれやれ」と思っていたことでしょう。

もう18年も前のことなんて、信じられません。このあとポールはクラシックの作品を多く手がけましたが、この“Liverpool Oratorio”が一番インパクトが強かったような気がします。当時のポールのインタビューを読むと、ポールがジョージへ「クラシック曲を作った」と言ったらショックを受けていた、とありますので、ロックのミュージシャンがロック・オペラではなく、純粋なクラシックを作ることは大変なことだったのだと思います。

今日は、18年前の6月18日、S席2列の18番で鑑賞したポール初のクラシック曲日本初演の話題でした。(残念ながら当時私はもちろん18歳ではなく、その2倍の年齢でした。(笑))

  

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2010年6月17日 (木)

Disque Americ (カナダ盤HelpとRubber Soul)

  

今日はビートルズのカナダ盤CDの話題を。

P1010076オーディオ雑誌「Beat Sound No.15」にも載っていましたDisque Americというカナダ盤HelpとRubber SoulのCD(ステレオ)には、ジョージ・マーティンがCD用にリミックスした音源が使われずに、何とオリジナル・ステレオ・ミックス音源が使用されています。ジョージ・マーティン・ミックスでは、音が中央寄りになっていますが、オリジナル・ミックス音源は左右にはっきり分かれるミックス。昨年発売されたリマスター・ステレオCDにはジョージ・マーティン・ミックスが収録され、オリジナル・ステレオ・ミックスはモノ・ボックスのHelpとRubber Soulにボーナス音源として収録されていましたが、そのはるか前にオリジナル・ミックスのCDがカナダに存在したわけです。

「Beat Sound No.15」でも対談形式の解説がありましたが、モノ・ボックスのHelp、Rubber Soul収録のオリジナル・ステレオ・ミックスとこのカナダ盤Disque Americのオリジナル・ミックスとでは、かなり印象が違います。後者の方がよりアナログっぽいのです。「Beat Sound」の解説のとおり、アメリカ盤LPの音のような感じがします。(ただしアメリカ盤LPはご存知のとおり曲が削られていましたが) 私はこのCDに出会うまで「デジタルなんだからプレスの国が違っても音は同じではないか」とずっと思っていました。このDisque Americではマスター音源が違うものだったというのですから、本当に驚きです。よくこんなこと許されたものだと思います。フライングだった日本盤CDのAbbey Roadに匹敵する「チョンボ」CDというわけです。

興味のある方は是非入手なさって、モノ・ボックスのHelp、Rubber Soulオリジナル・ステレオ・ミックスと比較してみてください。どちらがいいかは個人の好みがあると思いますが。

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2010年6月12日 (土)

松本亨高等英語専門学校

もう36年も前のことです。私は伸び悩んでいた英語を何とかしようと、渋谷にある英語学校で夏休みに行われる「大学受験英語講座」に通うことにしました。その学校名は「松本亨高等英語専門学校」(当時はまだ専修学校の認可も受けていない学校で、その後「東京松本英語専門学校」となってから専修学校になったようです)。NHKのラジオ英語会話講師を20年以上勤められた松本亨先生を学長とする小さな学校でした。宮益坂を上っていったところにあったその学校を初めて訪れた時のことを今でも覚えています。講座の説明を受けるためにロビーで待っていたところへ、一人の女性の生徒が入ってきて何やら先生と英語で話し始めるではありませんか。しかもかなり流暢な英語でです。その時「この学校で頑張れば、道が開けるかもしれない」と直感し、すぐに講座の申し込みをしました。

中学1年の時に目黒第一中学校で伊藤寿子先生という素晴らしい先生に音声を厳しく指導して頂いたお陰で、音声面での自信はあったのですが、高校時代は読解力、文章力に行き詰っていたため、藁をも縋る思いでこの講座に参加したわけです。授業は、大学受験のための講座といえども全て英語で行われるという徹底ぶり。初めはついていけるか心配でしたが、3日ほどで先生方のおっしゃることもわかるようになり(先生は日本人だけでなくアメリカ人のジョン・ストローマンという先生もいらっしゃいました)、「英語で考える」学習法を徹底的に叩き込まれました。とにかく全てを英語で行い、予備校とは全く違う、英語の音を大事にする講座で、1ヶ月通い詰めて英語に対しての自信を回復することができました。本当に幸運だったと思います。もうひとつ大変幸運だったのは、大学受験講座で松本亨先生が直々に授業をなさったのは、私が受講した年が最後だったことです。

その後大学に通うようになってからも、夜から同校の「ナイトスクール」へ通い、パラグラフ・ライティングの演習などの授業を受けました。当時、パラグラフ・ライティング、パラグラフ・リーディングを教えてくれるところは少なかったと記憶しています。

残念ながらこの学校も松本先生亡き後、学長を受け継いだ森喬伸先生が起こした問題で消滅してしまいましたが、ここ数年この学校が無性に懐かしくなり、ネットで先生方のお名前を検索していました。英語の達人だった森喬伸先生はテコンドーの協会の会長になられた後、再び英語の学校を経営しているようです。森先生の妹の久子先生は、新宿の「フィニックス英語学院」という学校を経営していたようですが、一昨年閉校したようです。大変お世話になった近藤国太先生は、ご著書を一冊書かれた後、2004年に他界されたとのこと。近藤先生には、デール・カーネギーのグループ・スタディをして頂きました。この時学んだことは決して忘れることがないと思います。村田洋充先生は、現在河合塾の英語講師としてご活躍中とのこと。写真を拝見しましたが、当時ほっそりしていた先生が、とても貫禄がついていて時の流れを感じました。(笑) 音声指導をしていただいた斉藤文一先生と滝沢惇先生のご消息はわかりません。今でも先生方が「日本の英語教育を変える!」と熱く語っておられた姿が目に浮かびます。

この英語学校が経営でつまづかなければ、この国の英語教育の流れも少しは変っていたかもしれません。結局、昔と同じように英語は受験の道具として「利用」されてしまっているだけです。今塾で教えていても、目先の受験合格のことばかりで、将来英語を使いこなせるだけの英語を教えようとはしませんし、生徒も学ぼうとしません。単語を憶えれば英語ができるようになると勘違いしているのです。「長文をすぐ読めるようになりたい」という割には、足元を固めるようなこと(特にまとまった文章をたくさん、そして繰り返し読むこと)を教わる方もしようとしません。とにかく即席にうわべだけの受験テクニック的なことを身につけようとするだけ。

近い将来、松本亨高等英語専門学校のように、しっかりした英語力を身につくような塾を作ってみたいと思っています。本当の英語力が身につけば、高校受験はもとより大学受験にも対応できると確信しています。小手先のことを教えることは、私の意に反することなのです。それにしても、学校も塾も予備校も未だに受験英語まみれですね。35年前と何ら変っていない。このままではいつまでたっても日本人は英語に悩まされることになりそうです。

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2010年6月10日 (木)

最近読んだビートルズ関係書籍2冊

   

久しぶりにビートルズ関係の書籍を2冊続けて読みましたので、今日はそれに関する記事を。

P1010010本のタイトルは「ビートルズとボブ・ディラン」と「ビートルズの謎」。前者は新刊で5月末に購入し、すぐに読みましたが、後者は2008年に出た本で、買ってから今まで読まずにいた本です。どちらも中山康樹さんのご著書で、中山さんのご著書はこれ以外にも何冊か読んでいましたが、今回の「ビートルズとボブ・ディラン」が一番面白かったのではないかと思います。

                                                           

ビートルズとボブ・ディランの比較論的なものは今まであまりなかったのではないかと思いますが、この本のように時系列でこの2大アーティストを追っていくと、彼らが60年代に現れるべくして現れたのだと強く感じ、彼らが出会ったことには運命的なものさえ感じてしまいます。人類の歴史で、一時期に偉大な人物が現れ、文化、芸術、宗教などが花開いていますが、20世紀においてはまさしく60年代がそのような時代だったのではないかと思われます。これはあと数十年、あるいは百年くらいたってから、改めて振り返られるのではないでしょうか。

内容に関しては書きませんが、中山さんのように丁寧に時間を追いながらビートルズとディランを振り返ってみると、お互いが存在したからこそ刺激し合い、時には反目し合って、自らの音楽を発展させたことが、はっきりと浮かび上がってきます。もしビートルズは聴くがディランは聴かない、或いはディランは聴くがビートルズは聴かないという方がいらっしゃったら、この本をお薦めします。英米の2大アーティストが出会ったことの意義を知ることができるのではないでしょうか。

もう1冊の「ビートルズの謎」ですが、こちらはかなりマニアックな内容で、今まで語られてきたビートルズに関する内容を「検証」していくものです。直接本人たちから得た情報ではなく、現時点で「事実」とされる文献をもとに検証していく方法は、私が学生時代に読んだルース・ベネディクトの「菊と刀」を彷彿とさせます。ベネディクトは日本には一度も足を運ばずに、文献とアメリカ在住の日系人からの聞き書きをもとに日本の文化を纏め上げています。

私自身はかなり面白く読むことができたのですが、「ちょっと待てよ!」と思う内容もありました。特に気になった箇所について少々引用させて頂きながら、私の見解を述べさせ頂きます。

「いつ何が起きてもおかしくない状況だった。『アビー・ロード』のセッションが終盤(推定8月中旬~下旬)を迎えたある日の夕方、それは起きた。事件とは、『アビー・ロード』のセッション中にポールが脱退、ジョンがポールをなだめ、セッション、あるいはビートルズに復帰するように説得した出来事を指す。(中略)つまり定説の「ジョンが最初に抜けた」の根拠とされる9月13日ならびに20日のはるか以前にポールは事実上、脱退していた。(中略)ポールが涙をためながらスタジオを飛び出し、怒ったジョンがポールの自宅の塀を登り、大声で叫ぶ。」

このような内容で、イギリスの雑誌『MOJO』に掲載されたアップル・スクラッフス(当時ビートルズの「追っかけ」をしていた女の子たちのこと)撮影の写真と話をもとに、『アビー・ロード』セッション終盤にポールがビートルズを脱退していたのではないかということなのですが、私はその雑誌を持っていましたので写真を見たところ、大きな疑問点が浮かび上がりました。

P1010008この写真ですが、果たしてこれが8月中旬~下旬のロンドンの写真でしょうか?ジョンは映画『レット・イット・ビー』で着ていたかなり暖かそうなコートを着ていますし、あまりヒゲを生やしていません。(8月8日のアルバム『アビーロード』の写真や8月22日の最後のフォト・セッションではジョンはかなり長いヒゲを生やしています)この写真はおそらく映画『レット・イット・ビー』撮影の頃のもので、所謂「ゲット・バック・セッション」時のアップル・スタジオに移った頃のものだと思うのです。ジョンが着ている物やヒゲだけをみてもまず間違いないと思われますし、写真のアップル・スクラッフスの姿をみても、「夏の夕刻」には見えません。ロンドンの気候に関して詳しくないのですが、8月でこんな格好はしないと思います。ずばり、この写真は「冬」です!恐らくアップル・スクラッフスの記憶違いか、『ゲット・バック・セッション』を誤って『アビーロード・セッション』と言ってしまったのではないでしょうか。さらに、ポールが「ビートルズを脱退した」という証拠は無いような気がします。何かが起きたのは確かだと思いますが、「脱退」したとまでは言えないのでは?

以上の点に関して、疑問に思いましたので、少々書いてみました。皆様のご意見をお待ちしております。できることならば、中山康樹さんからご意見を伺いたいのですが、こんなちっぽけなブログ、ご覧頂いてないでしょうね。(笑)

一点だけ疑問点を提出させて頂きましたが、それ以外では中山康樹さんの「検証」は素晴らしく、海外にもこれほど正確に事実をまとめている人はいないのではないでしょうか。ビートルズに関して真実を無視して本を書くことが昔は多かった(正確な情報が少なかったせいもあります)ですが、ビートルズの本を出すならばある程度事実に基づいて書くことは絶対に必要です。そうでなければ、「虚偽」か「幻想」のビートルズになってしまいますので。

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2010年6月 1日 (火)

「縁」その5―まだまだ続きます!

   

6月になったら、もうこのコーナーはなくなると思っていたのですが、大間違いでした。

1日夕刻、JR新宿駅・中央線プラットホームで、何とwingsfanさんとばったりお会いしたのです!!私は色々立ち寄ったあとだったのですが、もっと早く用を済ませていたり、逆にまだ何かやっていたらお会いできなかったことを考えると、本当に不思議な気持ちになってしまいます。「縁」とはなにやら恐ろしいものに思えてきました。そして中央線は私にとって「出会い」の宝庫です。(笑)

wingsfanさんとは電車の中で、最近のポールの話題や、10月にwingsfanさんが予定なさっているLIVEの話で盛り上がりました。まだまだお話をしていたかったのですが、私の仕事場がある駅に着き、やむなくお別れとなりました。

本当にこの2カ月は一体何なんだろう?こんなに人が多い東京で知り合いの方々と次々に偶然にお会いするなんて。やっぱり偶然は必然なのでしょう。「縁」の不思議さを強く感じた1日でした。

まだまだこのコーナーは続く予感。(笑)

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