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2009年9月12日 (土)

今、亡き父を思う

突然ですが、たまにはプライヴェートの話をさせてください。ふと父親のことを思い出しましたので、書いてみます。

私の父は海軍兵学校卒の軍人でした。大正15年生まれの頑固な人で、人生を自分の思うように生きた人でした。私とはよくぶつかりましたが、でも父の言い分に納得できることも多々ありました。それは59年生きた父の言葉に重みがあったからだと思います。

ポールの曲に“Put It There”という父親の言葉をもとにした曲があります。ポールが「ああ、ずっしり重い気分だ。きついなあ」と言ったことに対して、父のジェイムズが「重けりゃ、おろせばいいだろ」とひとこと。実はこれと同じような言葉を私は父から何回かかけられました。この歌を聴くとよくそのことを思い出します。

いろいろ思い出す中で、「お前は英語をやるのはいいが、外国かぶれにだけはなるなよ」という言葉がありました。それは日本人として一番みっともないというのです。今、その意味が分かるような気がします。私は海外で暮らすことにあこがれたことがあるのですが、この父のひとことでその夢は捨てました。父が言いたかったことは「日本人としてのアイデンティティを失うな」ということだと思います。私は海外で生活したら、そこに住み着いて、好き勝手なことをしていたでしょう。「総てが自分次第! やりたい放題!」なんて生活は、何か日本人としてのアイデンティティを壊してしまうと思ったのです。個人主義的な国で長く生活すると、日本人としての「やさしさ」を失うこともあるのではと最近思っています。ただし、現在海外で活躍する立派な日本人をみると、日本人としてのアイデンティティをしっかりもちながら、大きな仕事を成し遂げておられる方も大勢いらっしゃいます。人格者といいますか、厳しいながらも寛大さも持ち合わせ、しっかり「日本人」として生きておられます。要は本人次第なのかもしれません。とにかく、日本人としてのアイデンティティを失った「無国籍」人間にはなりたくないですね。そういう人もいるようですので。

父とぶつかってばかりの私でしたが、脳溢血で倒れた父をすぐに見つけたのは私でした。そしてその数時間後、彼は59歳の生涯を閉じました。それまで数年間の父はとてもいい顔をしていました。そしてデスマスクも。60歳を前に男としてやるべきことをやってきた、すっきりした顔でした。60近くにもなれば、人格は本当に顔にあらわれるのだと思いました。

段々父が亡くなった年齢に近くなっていますが、60歳までにはいい顔になっていたい。そう思う今日この頃です。今、自分が一番いい顔になれる時は、このブログで知り合うことが出来た方とやりとりする時と、TEA PARTYでビートルズ・ファンの方たちとお会いする時だと思います。商売でこのブログやTEA PARTYを開催してこなかったことは、正しかったと信じています。父も生きていたら、きっとこういう人間関係の構築の仕方を誉めてくれたと思います。

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