漫画「ある惑星の悲劇」
今日は広島に原爆が投下されてから63年となる日。私の「原爆」に関しての知識は漫画から始まりました。
1969年8月、少年マガジンに「ある惑星の悲劇」という漫画が短期連載されました。タイトルだけではあまり想像できなかった、広島原爆投下の衝撃的な内容でした。被爆者・草河達夫さんの手記をもとに漫画家・旭丘光志が描いた、日本で初めて、いや世界で初めての「原爆漫画」の誕生でした。(「はだしのゲン」よりも前です)写真は1970年に出版された、草河さんの手記と漫画が一緒になった単行本。
草河さんは小さな一人息子を、物資がない戦争中に亡くします。しゃぶっていたシャープペンシルの先の金属が喉につまり、麻酔なしでのどの切開手術を受け、その手術で幼い命を落とします。悲しみに暮れる草河さん夫妻は、東京を離れ広島へ引っ越します。そして8月6日。普段、草河さんが行っている勤労奉仕を、その日は奥様が行くと言い出し、朝早くから家を出て行きます。8時15分、原爆投下。草河さんは家の下敷きになりましたが、熱線をあびることなく、瓦礫から抜け出します。そして壊滅した広島の市内を、奥様を探し求めながら歩きます。真っ黒焦げになり、指から皮膚の皮が紐のようにたれて、まるで幽霊のように歩く人々。熱線を浴びて黒焦げになり、防火用水の中で立ったまま死んでいる娘の口に桃を含ませる母親。倒壊した小学校から子供の声が聞こえ、助け出そうとしても瓦礫を取り除くことができず、そこへ火の手がまわり、焼け死んでいく小学生たち。その前でひれ伏し、許しを請う草河さん。どれも広島の悲劇を忠実に伝えるものでした。その後、草河さんは「死の灰」である黒い雨をあびながら、奥様を探し続けますが。放射能を浴びた体は変調をきたし、路傍に倒れてしまいます。気が付いたときは病院で看護されていました。この物語の最後で草河さんは「私たちの世代は臆病すぎました。戦争に対してはっきりと反対を主張しなければいけなかった」と述べられています。
恥ずかしながら、私はまだ広島へ行ったことがありません。長崎もです。でも、ごく近い将来、必ず訪れて、亡くなられた方々のご冥福を祈り、平和を祈願して参りたいと思っています。ビートルズのメンバーではジョージが1991年に来日した折に、広島を訪れ、資料館なども見学したそうです。ジョージの“Live In Japan”という本を読むと、いかにジョージが広島の惨状に衝撃を受けたかがわかります。
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