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2008年8月

2008年8月26日 (火)

祝 Hey Jude 40周年

Rimg0294Rimg0295_2  きょうは、Hey Judeが発表されてから40周年に当たる日。40年たった今でも、この曲は輝きを失っていませんね。ビートルズ後期における最高傑作、最大のヒット曲です。「最高傑作」と敢えて書きましたが、よく評論家の方々が投票するランキングでは、まずこの曲が1位にはなりません。ベスト10にさえ入りません。はっきり言わせてもらえば、「知ったか」しているとしか思えませんね。「有名な曲はベスト10には入れたくない」とか「自分はもっとビートルズを詳しく知っている」とでも言わんばかりの姿勢ではないかと思います。個人の意見ならばいいのですが、それが活字となってお金をとっているのですから、個人の趣味で選んでいいのでしょうか。評論家は「客観性」をもってベスト10を選ぶべきだと思いますし、もっと過去の記録にも目をむけるべきだと思うのですが。因みに1968年のBillboard誌では9週間連続1位で(この写真はCash Boxですが)、ビートルズとしては1位の最長記録です。それから、以前記事として書きましたが、レーベル・バリエーションが最も多いUKシングルであることも。ヒットしたから「最高傑作」というのではなく、最高傑作だからこれだけヒットしたのだと言いたいのです。

Rimg0289_2 Hey Judeは1968年8月26日にアメリカで発売。(イギリスでは8月30日)ビートルズとしては初めてのアップル・レーベルのシングルでした。但し、他の国ではまだパーロフォンやオディオンのレーベルが使われているところもありました。(というより、ほとんどが各国独自のレーベルだったのですが。アップル・レーベルはイギリスとアメリカのみ)写真は左がパーロフォン・レーベルのポルトガル盤、右が大変きれいなコーティング・ジャケットのオディオン・レーベルのスペイン盤。

Rimg0290 こちらは左がオランダ盤、右が西ドイツ盤。オランダ盤はパーロフォン、西ドイツはオディオンのレーベルです。

 

Rimg0291 このジャケットはデンマーク盤で、文字の色違い2種。レーベルはパーロフォンです。

 

Rimg0292こちらは左がパーロフォン・レーベルのオーストラリア盤、右がブラジル盤です(オディオン・レーベル)。

 

Rimg0293 これはイタリア盤。左が販売されたもので、右がプロモーション盤。

 

 

Hey Judeの頃は、まだ各国シングルのジャケットがカラフルで楽しめます。ビートルズのレコードのコレクションの方法として、曲を絞ってピクチャー・スリーブ付きのシングルを集めてみるのもいいのではないかと思います。特にこのHey Judeのシングルはジャケットがきれいですので、おすすめです。

Hey Judeは、ポールのコンサートでは必ず会場全体でコーラスをしますが、そのとき気になることがあります。以前、友達と「論争」になったこともあるのですが、コーラスが“na,na,na, na,na,na,na”なのか“la,la,la, la,la,la,la”或いは“da,da,da, da,da,da,da”なのかということです。どうでもいいじゃないかといわれるのは承知の上で、ここで結論を出したいと思います。(笑)

高校生の頃は、青盤のスリーブのとおりに“da,da,da”と歌っていたのですが、ある時じっくり聴いてみたら、違うように聴こえたのです。そこで、意味も確認してみると、“Hey Jude, don't ・・・”ということから、“No, no, no, …, hey, Jude”(〔落ち込んでちゃ〕だめだよ、ジュード)がなまってna,na,naになっているのではないかと思うようになったのです。

このことで、友達とは論争になりました。でも私はそれからずーっと“na,na,na”で歌っていました。

そこで...

ポールがこの曲を歌っているビデオを徹底的に見てみました。(特にプロモーション・ビデオは参考になりました)ポールの口の動きを「英語の教師」の立場から見てみると、間違いなく“na,na,na, na,na,na,na”と歌っています。

そして先ほど「ヘイ・ジュード ウィキペディア」でGoogleで検索してみたところ、ポールの直筆の歌詞には“na,na,na・・・”となっていると出ていました。

結論。自分は正しかった!!

ポールの来日、いつになるのでしょうか。また“na,na,na”でコーラスしたいと思います。(笑)

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2008年8月 6日 (水)

漫画「ある惑星の悲劇」

Photo 今日は広島に原爆が投下されてから63年となる日。私の「原爆」に関しての知識は漫画から始まりました。

1969年8月、少年マガジンに「ある惑星の悲劇」という漫画が短期連載されました。タイトルだけではあまり想像できなかった、広島原爆投下の衝撃的な内容でした。被爆者・草河達夫さんの手記をもとに漫画家・旭丘光志が描いた、日本で初めて、いや世界で初めての「原爆漫画」の誕生でした。(「はだしのゲン」よりも前です)写真は1970年に出版された、草河さんの手記と漫画が一緒になった単行本。

草河さんは小さな一人息子を、物資がない戦争中に亡くします。しゃぶっていたシャープペンシルの先の金属が喉につまり、麻酔なしでのどの切開手術を受け、その手術で幼い命を落とします。悲しみに暮れる草河さん夫妻は、東京を離れ広島へ引っ越します。そして8月6日。普段、草河さんが行っている勤労奉仕を、その日は奥様が行くと言い出し、朝早くから家を出て行きます。8時15分、原爆投下。草河さんは家の下敷きになりましたが、熱線をあびることなく、瓦礫から抜け出します。そして壊滅した広島の市内を、奥様を探し求めながら歩きます。真っ黒焦げになり、指から皮膚の皮が紐のようにたれて、まるで幽霊のように歩く人々。熱線を浴びて黒焦げになり、防火用水の中で立ったまま死んでいる娘の口に桃を含ませる母親。倒壊した小学校から子供の声が聞こえ、助け出そうとしても瓦礫を取り除くことができず、そこへ火の手がまわり、焼け死んでいく小学生たち。その前でひれ伏し、許しを請う草河さん。どれも広島の悲劇を忠実に伝えるものでした。その後、草河さんは「死の灰」である黒い雨をあびながら、奥様を探し続けますが。放射能を浴びた体は変調をきたし、路傍に倒れてしまいます。気が付いたときは病院で看護されていました。この物語の最後で草河さんは「私たちの世代は臆病すぎました。戦争に対してはっきりと反対を主張しなければいけなかった」と述べられています。

恥ずかしながら、私はまだ広島へ行ったことがありません。長崎もです。でも、ごく近い将来、必ず訪れて、亡くなられた方々のご冥福を祈り、平和を祈願して参りたいと思っています。ビートルズのメンバーではジョージが1991年に来日した折に、広島を訪れ、資料館なども見学したそうです。ジョージの“Live In Japan”という本を読むと、いかにジョージが広島の惨状に衝撃を受けたかがわかります。

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