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2008年6月

2008年6月26日 (木)

ビートルズ来日当時の話を聞くTEA PARTY

ビートルズ来日時に東京ヒルトン・ホテルにおいて、BFC会長・下山鉄三郎氏のために通訳をなさった会田公さんを囲んでのTEA PARTYを開催予定です。日程はまだ確定ではありませんが、7月20日前後の午後1時から4時まで、場所は東京で。

興味がおありの方はコメント欄にメールアドレスをご記入の上(ブログでは公開されません)、ご連絡ください。折り返し連絡させていただきます。

どんなに多くても20人が限度ですので、ぜひと思われる方はお早めにご連絡ください。当日は会田公さんよりプレゼントがある予定です。私からもささやかですが用意させていただきます。よろしくお願い致します。

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2008年6月22日 (日)

MY BONNIE

Rimg0186 47年前の今日は、ドイツのハンブルグで“MY BONNIE”が録音された日。その後、ビートルズの演奏が初めて公式なレコードとして世に出ます。左の写真は1961年に発売された“MY BONNIE”のドイツ盤オリジナル。(ドイツ語のイントロで始まるバージョンです)当時はトニー・シェリダンのバックバンドとして録音に望んだわけですが、このレコーディングではジョンが“AIN'T SHE SWEET”でボーカルを、またジョージとジョンの共作“CRY FOR A SHADOW”というインストゥルメンタルの曲を録音、そしてその後レコードとしてリリースすることになります。バックバンドとはいえ、ビートルズのレコード・デビューといっていいのではないかと思います。

Rimg0188 ドイツ語イントロ・バージョンに続いて、英語イントロ・バージョンも発売されます。左は英語イントロ・バージョンのドイツ盤オリジナル。

 

Rimg0190Rimg0192 その後1962年に、UK盤が発売。左がファースト・プレス、右がセカンド・プレス。(セカンド・プレスはレーベルの文字が細いものになっています。)

 

Rimg0193 ビートルズの正式デビュー以降、このポリドール録音の曲も次々に発売されていきます。左の写真は“AIN'T SHE SWEET”のUK盤オリジナル・シングル。

 

Rimg0194 そして“CRY FOR A SHADOW”UK盤オリジナルです。現在、ポリドールのUKオリジナル・シングルの中では、これが一番入手困難のような気がします。オークションでも値が高くなります。

 

Rimg0196Rimg0198 ビートルズ関連初のLPがこのドイツ盤“MY BONNIE”。現在では、かなりの高値で取引されています。1980年代に復刻盤が“MY BONNIE”のシングル付きで発売されましたが、このオリジナルに比べると盤も薄くジャケットの写真もボケていて、見劣りのするものでした。

 

“LOVE ME DO”以前の公式レコードとして、これらのレコードは貴重な資料ということになると思います。

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2008年6月21日 (土)

ビートルズ・ファンになる前

ビートルズ・ファンになる以前に自分はいわゆる「マンガ少年」でした。「少年サンデー」と「少年マガジン」は毎週買って読んでいましたし、「少年キング」も必ず書店で「立ち読み」。小遣いに余裕が出れば月刊誌(「少年」、「冒険王」、「まんが王」、「少年画報」、「少年ブック」、「ぼくら」)のいずれかを買って読んでいました。「凝り性」(今で言う「オタク」)的なところは、このマンガにのめりこんでから「養われた」ものだと思います。

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今から40年前の1968年7月、「サンデー」、「マガジン」しか定期的に買っていなかった私に、もう1冊買うようになるマンガが増えます。この時期に創刊された「少年ジャンプ」です。当時の創刊号が出てきましたので、ここに紹介します。当時サンデーやマガジンが70円の時代でしたから、90円という定価はとても高く感じました。(その後80円に値下げするのですが)また、「週刊」ではなく「月2回の発行」でした。マンガの内容は素朴かと思いきや、かなり過激なものが多いです。楳図かずおのマンガなどは、今だったら絶対に掲載されなかったでしょう。創刊号からこのような調子ですから、その後のジャンプは「過激」路線を突っ走るわけです。これは他誌にも影響を与えたと思います。

その後、中学3年になって本格的にビートルズを聴くようになってからは、ジャンプは読まなくなって行きました。(サンデーとマガジンは読み続けていましたが)

1968年は、今のように電車の中でサラリーマンがマンガを読んでいるような時代ではありませんでしたが、確実に漫画誌が社会全体に浸透して行った時代でした。

今、「少年ジャンプ40周年」ということで、集英社はいろいろ企画をしているようです。できればこの創刊号を復刊して欲しいですね。

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2008年6月19日 (木)

アフリカ盤シングルの魅力

Rimg0163 今日はアフリカ盤シングルの話題を。あまり日本では注目されないビートルズのアフリカ各国盤シングルですが、コアなコレクターにとってはいろいろなヴァリエーションを楽しめるレコードです。左はナイジェリアの“LOVE ME DO”と“PLEASE PLEASE ME”。レーベルは一見UK盤のようですが、微妙に違っています。ナイジェリア盤はレーベル番号の末尾にNIの文字がついています。

 

Rimg0164 これは南アフリカ盤の“I SAW HER STANDING THERE”です。この曲がシングルで出ていることもおもしろいのですが、それ以上にレーベルのタイトルが“JUST SEVENTEEN”となっているのが興味深いです。

 

Rimg0165 左の写真は南アフリカ盤の通称「三角プッシュアウト」レーベルのシングル。左から“PLEASE PLEASE ME”、“TWIST AND SHOUT”、“ROCK AND ROLL MUSIC”です。この三角プッシュアウトはどういう経緯でできたのかわからないのですが、同じ国の同じ曲のシングルで通常のプッシュアウトもあることから、工場が複数あったために、プッシュアウトの形状が異なったのではないかと推測します。

 

Rimg0166この三角プッシュアウトを集め始めた頃は、初期から中期までに存在するものだと思っていたのですが、この“LADY MADONNA”の三角プッシュアウトを見つけてから、そうではないことに気づかされました。写真は南アフリカ盤の“LADY MADONNA”。

 

Rimg0167ビートルズ末期の“SOMETHING/COME TOGETHER”にも三角プッシュアウトが存在します。こうなると、殆どのシングルでこの形状が存在するのではないかと思ってしまいます。写真は南アフリカ盤の“SOMETHING”です。

 

Rimg0168 最後に紹介するのはピクチャー・スリーブ付きの南アフリカ盤“LET IT BE”。南アフリカ盤にはピクチャー・スリーブがついたシングルは“ALL YOU NEED IS LOVE”、“HELLO GOODBYE”、“HEY JUDE”とこの“LET IT BE”の4種類が確認されています。(「ピクチャー」ではないので入れませんでしたが、上記の“LADY MADONNA”を入れれば5種類)

 

Rimg0170 これ以外に、先日も紹介しましたこの“HEY JUDE”のケニヤ盤が3プロング(3本スポーク)のプッシュアウトでかなり珍しいと思います。個人的には、三角プッシュアウトがレトロな感じがしてとても好きです。三角プッシュアウトはまだそれほど高値ではないので、コレクションしてみてはいかがでしょうか?

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2008年6月18日 (水)

「ヤア!ヤア!ヤア!」の名付け親

Rimg0162Rimg0161  先週、映画評論家の水野晴郎さんがお亡くなりになりました。早くこのブログに書かなければいけないと思いながら、結局今日になってしまいました。

 

水野さんは映画“A HARD DAY'S NIGHT”の邦題「ビートルズがやって来る ヤア!ヤア!ヤア!」の名付け親。たとえ原題とは違う内容であっても、この邦題が好きでした。

大学生の頃、総武線快速電車の中で、よく水野さんを見かけました。お住まいが千葉だったとのこと。何回となくサインをいただこうと思ったのですが、ゆったりと静かに座席にすわっておられる水野さんを見て、結局いただけませんでした。今思えば、この邦題のことをお伺いしておけばよかったと思うのですが...。

「いやー、映画って本当にいいものですね」というあの言葉は、水野さんを有名にした言葉ですが、心から映画を愛されたことを表現した印象的なフレーズです。

心よりご冥福をお祈りいたします。素敵な邦題をありがとうございました。

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2008年6月15日 (日)

坂本九の「スキヤキ」

Rimg0157 今から45年前の今日、全米ヒットチャートで、日本人歌手の曲がNO.1となりました。坂本九の「スキヤキ(上を向いて歩こう)」です。ビートルズが全米ヒットチャートを賑わす以前のことです。左の写真は右側が日本盤ファースト・プレス、左側がセカンド・プレスです。

 

 

Rimg0158 1963年6月15日、ビルボード誌全米シングル・ヒットチャートの1位に輝いたわけですが、それを受けて坂本九は、アメリカのTVにも出演します。その時の模様を見たことがあるのですが、彼は英語など全くしゃべらず、スタジオに集まった多くのアメリカ人を前に何と日本語で小噺を始めるのです。例によってあのにこやかな顔で、全く分からない言語で話されたスタジオのアメリカ人は、内容が分からないにも拘らず大爆笑をするのです。坂本九が、日本の歌手が、アメリカに受け入れられた瞬間でした。これを見てすごいなあと思いました。写真は右側がUK盤、左側がUS盤の「スキヤキ」です。

 

Rimg0159 その後、世界各国でこのレコードが発売されるようになります。おそらく一人の日本人歌手のものとしては、最も多くの国で発売された曲ではないかと思われます。右側がドイツ盤、左側がイタリア盤。

 

Rimg0160 ヒットチャートを詳しく調べたわけではありませんが、坂本九以外で全米NO.1に輝いた日本人歌手を私は知りません。アジアではNO.1になった曲はあると思いますが、全米NO.1の曲が出ないのは何とも悲しいことです。写真は右側がブラジル盤、左側がフランス盤です。

 

果たして、これから先、坂本九のこの曲のように全米NO.1に輝く曲は出るのでしょうか。日本の音楽界の現状を見ると、無理のような気がしてなりません。

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2008年6月11日 (水)

ビートルズ来日時のお話を伺う

Rimg0151 今日は大変幸せな日でした。それというのも、昨日予告しましたとおり、ビートルズ来日時にビートルズ・ファン・クラブ(BFC)会長・下山鉄三郎さんとともに東京ヒルトン・ホテルでビートルズと会われ、下山さんのために通訳をなさった会田公さんとお会いしたからです。左の写真は会田さんがジョージからBFCのメモパッドに サインしてもらったものです。

このサインをいただいた方が目の前にいて、優しい眼差しで当時の思い出を語ってくださっているのが、私にとってはまるで「夢」みたいな気分でした。「4人と握手し、通訳をし、ジョージからサインまでもらった方が自分の目の前にいる」と思っただけで、幸せな気分に包まれました。会田さんが通訳を引き受けられた経緯や、下山鉄三郎さんのこと、4人のことを40分間にわたってお伺いしました。会田さんはこのビートルズとの会見後、何度となく町で出会った女の子たちから握手を求められたそうです。

Rimg0152Rimg0156 当時の力関係からでしょうか、BFCは東芝音工の上の方からビートルズの会見について「勝手なことをするな」というような感じできつく注意されていたそうです。それでも会見してしまったら「勝ち」です!結局ビートルズと会見したこの日、BFCは公認のファン・クラブとして認可されます。この写真は会見時に撮影したもので、その裏には下山さんのサインが。4人の笑顔がとてもいいですねえ!

会田さんはジョージのことがとても印象に残っておられるご様子で、私が「自分はジョージが一番好きなんです!」と言うと、にっこり微笑まれました。もっと時間があれば、4人の英語に関してお伺いしたかったです。どんなしゃべりかたで、どんな発音だったかなど。その質問は、またいつか会田さんにお会いするときのためにとっておこうと、自分に言い聞かせました。

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2008年6月10日 (火)

ビートルズ来日時のBFC会報、そして...

Rimg0139 今日、大変珍しいものが手に入りました。ビートルズ来日時のBFC会報です。シネ・クラブではない本家本元のジャパン・ビートルズ・ファン・クラブ(会長:下山鉄三郎氏)のオリジナルの会報です。

 

Rimg0142_2 当時の雰囲気がよく伝わってくる会報で、ビートルズの来日を扱った週刊誌や月刊誌とは全く異なった、ファン・クラブならではの記事がとても興味をそそられます。

 

Rimg0147 ファンの皆さんならばこの写真を一度はご覧になったことがあるでしょう。4人全員が笑顔でファン・クラブ会長達を囲んで写っています。ファンを大事にするビートルズの姿がよく伝わってくる1枚です。下山会長さんが持っているのは、かの有名なビートルズの4人が描いた絵です。 4人のサインも紹介されています。この日にBFCはビートルズ公認のファン・クラブとなったそうです。

 

そして、もうひとつ話題が。このファン・クラブ会報を入手した日の翌日(つまり明日)、当時この会見時に通訳をされた方とお会いすることになったのです。リアル・タイムのファンの方たちと談笑したことはありますが、実際に会われて話をされた方とお話するのは初めてです。インタビュアーになったつもりで、いろいろお伺いして参ります。お楽しみに!!

   

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