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2008年3月30日 (日)

50代のハローワーク

27日のブログで「激動の人生を送っている」と書きましたが、ここにその全貌を明かそうと思います。(誰も知りたくないかもしれませんが)

2月に職場の編集長が病に倒れてから、私は転職を決意しました。この1年は充実していましたが、編集長あっての仕事でしたので、その業務形態がストップした時点でもう終わりだと思いました。去年の4月は意気揚々とやる気に燃えていたのですが、このような事態になるとは、思ってもみませんでした。

それからというもの、他の人はあまり経験しないであろう、「50代のハローワーク」が始まりました。そして、“BACK TO THE JOB”の言葉を胸に(定冠詞THEがあるところがミソ!)3月から活動開始。(何と遅い就活!!)わかってはいたのですが、50代の就職がこんなに大変だとは...。一度内定を出しておきながら、「若い教員が見つかったから」と、いとも簡単に断ってきた埼玉県Ⅰ市の某中学・高校がありました。負け惜しみになるかもしれませんが、実は、内定をもらっていてもこの学校に勤務したいという気持ちは起きませんでした。教員の顔が暗いし、学校の雰囲気が悪い。何でも2年前に自殺した生徒がでたとのこと。教育の場で自殺者が出るということは、その学校に何か問題があるのだと思いますので、内定取り消しにはほっとしたのでした。

その後は「50代のハローワーク」は困難を極めました。登録していた教員の職を紹介する会社からくる話はとんでもない条件のものばかり。決して妥協はしませんでした。一時期まったく教員公募の話が途絶えた時もありました。でも、最後まで諦めず、チャンスを待ちました。そしてもう教職紹介の会社に頼ることはやめ、自分で探すことにしました。

そしてついに、昨日3月29日、某大学付属中学・高校の英語科教員の仕事が決定しました。大きなバックボーンがある学校ですので、給与の面でも、賞与でも、今まで見てきたどの学校よりもはるかにいい条件での採用でした。英語による面接があったのですが、自分の英語がさびついていなくて、それなりに流暢に話せたこともとても嬉しかったですね。校長面接では「突然英語科の教員が辞めてしまって困っていたのですが、よく引き受けてくださいました」と言われ、涙が出そうになるほど感動しました。

因みにこの学校の設備はものすごいです。とても綺麗な校舎で、ひとりでも生徒がいると自然にライトがつき、いなくなると自然に消える教室なんて初めて見ました。実は教室だけではなく、他の部屋やトイレまで全てが「自動ライト」でした!

そんなわけで、“BACK TO THE JOB”ということになりました。定冠詞THEの意味をお分かりいただけたと思います。

教員に戻ります!! またビートルズを教材にして英語を教え始めます!!

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