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2007年1月13日 (土)

She's Leaving Home

Sgtpepper ニューヨーク・フィルの指揮者であった故レナード・バーンスタインが「この曲はシューベルトのどの歌曲よりも美しい」と絶賛した“She's Leaving Home”。そのメロディの美しさとは裏腹に、詩の方は「親子の断絶」を扱った悲しい内容です。

ポールは1967年2月、ある家出少女の新聞記事(デイリー・メール1967年2月27日付)を見つけます。少女の名はメラニー・コウ。裕福な家に育った彼女は、ダイヤモンドの指輪2個、ミンクのコートなど高価な服、自分の車など、あらゆる物を与えられて育った少女でしたが、彼女の親(特に母親)は彼女に物は買い与えても、「自由」は与えない親でした。演劇を勉強したがっていたメラニーに対して母親は彼女を歯科医にさせようとし、彼女が家に連れてくる友達も気に入らず、ひとりでの外出も許しませんでした。父親は弱い人で、母親と意見が一緒ではなくとも、母親の言いなりだったようです。そんな家から「自由」を求めて、メラニーは家出を決行します。親はうろたえ、「どうして家出なんかしたのかわからない。欲しいものは何でも買ってやっていたのに」と発言。この記事を読んだポールが詩を書き上げ、できたのがこの曲。

親と子の断絶を歌った曲は他にもあると思いますが、これほど美しく悲しい歌はないと思います。親子の宿命というのでしょうか、「行き違い」、「過干渉」、「無理解」、「放任」など、今の家庭でも数多く見受けられる内容が、ポールの素晴らしいヴォーカルで美しくも悲しく歌い上げられています。

She's leaving home after living alone for so many years. (彼女は何年もの間、孤独に過ごした家を出て行く)

Something inside that was always denied for so many years. (何年もの間、心に思うことをいつも否定されてきた)

なんて悲しい詩でしょう。「家」こそが人間にとって「安らぎ」の場であるはずなのに、子供にとって「温かさ」を感じられない場となったら、これほど悲しいことはありません。

実は次の一節はジョンが書いています。彼を育てたミミ叔母さんが普段よく口にしていた言葉だったので、すぐ思い浮かんだそうです。

We gave her most of our lives. (私達は彼女に人生の殆どを捧げてきたのに)

Sacrificed most of lives. (自分達の人生のほとんどを犠牲にしてまで)

メラニー・コウに関してもう少し情報を加えてみると、彼女は偶然にも1963年に“Ready, Steady, Go!”というTV番組でビートルズと会っていて、ポールは意外にも口数が多くなかったため、ジョージとリンゴと歓談したそうです。のちにこの曲が自分のことを歌っていると知った彼女は、「歌詞が自動車販売の男と駆け落ちするという内容だったので、自分のこととは思わなかった。よく自分の家と状況が似ていると思っていた」と語ったそうです。そして「家出することで、結局自由にはなれなかった。もっといい方法があったと思う」とも話していたようです。彼女は18歳で結婚し、その後離婚。再婚して、現在57歳でアメリカに住んでいるとのことです。

最近、この曲を初めて高校生の英語教材として使いました。「分詞構文の付帯状況」を教えるためですが、そんなことより、この「親子の断絶」のテーマについて考えてもらいたいですね。今の高校生はまじめなので、家出はしなくとも「内」にその苦しみ、悩みを抱えてしまう傾向があると思います。そうすると、まったく関係ない所で反動が現れてしまうことがあるので心配してます。この曲を聴いて、「40年前も同じだったんだ。自分だけではないのだ」と悟って、美しいメロディに癒されて欲しいのです。

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