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2007年1月

2007年1月24日 (水)

ブライアン・エプスタイン

Rimg1243 今から45年前の1月24日は、ビートルズがブライアン・エプスタインと正式にマネージメント契約を結んだ日。ブライアンとの契約に関しては諸説あるのですが、この日が正式なものだというのが定説になっています。左の写真は彼の直筆サイン。

結構お金にはうるさく、なかなか人を信じないタイプだったので、人柄については色々言われているブライアン・エプスタインですが、ビートルズを世界に売り出したのが彼であることは紛れもない事実。因みによく言われる、彼の店に“マイ・ボニー”のシングルを買いに来た客がきっかけでビートルズを知ったというのは事実ではなく作り話。ビートルズがツアーをやめた1967年には、彼の存在意義がなくなり、その寂しさからか薬物を多量摂取し、突然この世を去ります。

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2007年1月13日 (土)

She's Leaving Home

Sgtpepper ニューヨーク・フィルの指揮者であった故レナード・バーンスタインが「この曲はシューベルトのどの歌曲よりも美しい」と絶賛した“She's Leaving Home”。そのメロディの美しさとは裏腹に、詩の方は「親子の断絶」を扱った悲しい内容です。

ポールは1967年2月、ある家出少女の新聞記事(デイリー・メール1967年2月27日付)を見つけます。少女の名はメラニー・コウ。裕福な家に育った彼女は、ダイヤモンドの指輪2個、ミンクのコートなど高価な服、自分の車など、あらゆる物を与えられて育った少女でしたが、彼女の親(特に母親)は彼女に物は買い与えても、「自由」は与えない親でした。演劇を勉強したがっていたメラニーに対して母親は彼女を歯科医にさせようとし、彼女が家に連れてくる友達も気に入らず、ひとりでの外出も許しませんでした。父親は弱い人で、母親と意見が一緒ではなくとも、母親の言いなりだったようです。そんな家から「自由」を求めて、メラニーは家出を決行します。親はうろたえ、「どうして家出なんかしたのかわからない。欲しいものは何でも買ってやっていたのに」と発言。この記事を読んだポールが詩を書き上げ、できたのがこの曲。

親と子の断絶を歌った曲は他にもあると思いますが、これほど美しく悲しい歌はないと思います。親子の宿命というのでしょうか、「行き違い」、「過干渉」、「無理解」、「放任」など、今の家庭でも数多く見受けられる内容が、ポールの素晴らしいヴォーカルで美しくも悲しく歌い上げられています。

She's leaving home after living alone for so many years. (彼女は何年もの間、孤独に過ごした家を出て行く)

Something inside that was always denied for so many years. (何年もの間、心に思うことをいつも否定されてきた)

なんて悲しい詩でしょう。「家」こそが人間にとって「安らぎ」の場であるはずなのに、子供にとって「温かさ」を感じられない場となったら、これほど悲しいことはありません。

実は次の一節はジョンが書いています。彼を育てたミミ叔母さんが普段よく口にしていた言葉だったので、すぐ思い浮かんだそうです。

We gave her most of our lives. (私達は彼女に人生の殆どを捧げてきたのに)

Sacrificed most of lives. (自分達の人生のほとんどを犠牲にしてまで)

メラニー・コウに関してもう少し情報を加えてみると、彼女は偶然にも1963年に“Ready, Steady, Go!”というTV番組でビートルズと会っていて、ポールは意外にも口数が多くなかったため、ジョージとリンゴと歓談したそうです。のちにこの曲が自分のことを歌っていると知った彼女は、「歌詞が自動車販売の男と駆け落ちするという内容だったので、自分のこととは思わなかった。よく自分の家と状況が似ていると思っていた」と語ったそうです。そして「家出することで、結局自由にはなれなかった。もっといい方法があったと思う」とも話していたようです。彼女は18歳で結婚し、その後離婚。再婚して、現在57歳でアメリカに住んでいるとのことです。

最近、この曲を初めて高校生の英語教材として使いました。「分詞構文の付帯状況」を教えるためですが、そんなことより、この「親子の断絶」のテーマについて考えてもらいたいですね。今の高校生はまじめなので、家出はしなくとも「内」にその苦しみ、悩みを抱えてしまう傾向があると思います。そうすると、まったく関係ない所で反動が現れてしまうことがあるので心配してます。この曲を聴いて、「40年前も同じだったんだ。自分だけではないのだ」と悟って、美しいメロディに癒されて欲しいのです。

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2007年1月10日 (水)

記念切手でも世界制覇?

イギリスのROYAL MAILが初のビートルズ記念切手を発行。日本をはじめとして、世界各国からの注文が殺到していて、ROYAL MAILの記念切手としては過去最高となる見込み。年内は販売し続けるとのことですが、在庫がなくなりしだい終了だそうです。お早めにどうぞ!(私はROYAL MAILのサイトにアクセスして直接オーダーしました。送られてくる封筒にも記念切手が貼られるようです。)

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2007年1月 6日 (土)

ふたりだけの窓(THE FAMILY WAY)

Rimg1121_2 40年前の1月6日は、映画「ふたりだけの窓(THE FAMILY WAY)」のLPがイギリスで発売された日です。ポール・マッカートニーが手がけたこのサウンド・トラックは、ジョン・レノンにとってはおもしろくなかったようで、ポールがソロで映画音楽を発表したことに対して、いつまでもこだわっていたようです。

Rimg1124_2Rimg1129_2  UK盤です。青いレーベルがステレオ、赤がモノです。ポールが作った映画音楽ということで、評判にはなったものの、このLPの売れ行きはそれほどでもなかったようです。そのため、現在ではこのLPは入手困難になっています。特にステレオはなかなか見つからないです。

Rimg1133_4 UK盤プロモLP。ステッカーが貼られています。

 

   

Rimg1135_3 珍しいニュージーランド盤。UK盤に比べて明るい感じの薄緑色のコーティング・ジャケットが使われています。

 

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黄緑色の大変綺麗なコーティング・ジャケットのオーストラリア盤。オーストラリア盤は80年代にリイシューが出ますが、このコーティング・ジャケットはオリジナルのみ。

 

Rimg1141Rimg1139_3 US盤プロモです。左がステレオ、右がモノです。アメリカ盤はプレス数が多いので、プロモといえどもUK盤ほど入手困難ではありません。

 

Rimg1223 ここでちょっとレコードは休憩しまして、プロモカードを紹介します。このあたりは、どちらかというと映画のコレクターが集めるものだと思います。

 

Rimg1146 同じプロモ・カードに書かれた出演者のサイン。残念ながらヘイリー・ミルズのサインがありません。

 

Rimg1155_2Rimg1153_1  次にシングル盤です。左の写真はUK盤。日本の映画サントラ・シングルは必ずピクチャー・スリーブが付いているのですが、UK盤はこのとおりカンパニー・スリーブのそっけないもの。シングルは日・米・英とも2種類あり、これは映画で使われていたTHE TUDOR MINSTRELS盤。

Rimg1167_3 THE TUDOR MINSTRELS盤の、大変珍しいアセテート盤です。発売されたシングル盤よりも、かなりラウドな音がします。

Rimg1182 UK盤Aマーク・デモです。  このあたりも、なかなかみつからないですね。イギリスのラジオ局でも、もう処分してしまっているのではないでしょうか。 

 

Rimg1186 UKのGEORGE MARTIN ORCHESTRA盤です。

Rimg1171_1 US盤プロモです。こちらはTHE TUDOR MINSTRELS盤。

Rimg1172_1 こちらはUSのGEORGE MARTIN ORCHESTRA盤のプロモ。

Rimg1175_1 イタリアのGEORGE MARTIN ORCHESTRA盤です。ピクチャースリーブが使われているものの、かなり地味なもの。 

       

Rimg1200_1 日本盤です。日本ではLPは発売されず、2種類のシングルがリリースされました。

 

Rimg1206  THE TUDOR MINSTRELS盤スリーブです。タイトルが青いものと赤いものがありますが、青い方がオリジナル。

 

Photo_10   かつて「みゆき座」の印刷が入っているものがレアと言われていましたが、実際にはそれはレコードのスリーブとして使われていたものではなく、映画のプロモーション用に使われていたもののようです。レコードのスリーブとまったく同じものなのですが。

Rimg1221 GEORGE MARTIN ORCHESTRA盤です。こちらの方が入手困難。といっても最近ではヤフーのオークションでよく出るようになりました。数年前、プロモ盤も出品されていました。

Rimg1147_1 Rimg1149_1

シングルではありませんが、珍しい見本盤です。 

 

 

Rimg1192_1Rimg1198_1Rimg1193_1あまり知られていませんが、この映画の曲“LOVE IN THE OPEN AIR”はいくつかのカバー・バージョンが存在します。ポールが作ったということで「便乗」したのではないかな?

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2007年1月 4日 (木)

ジェーン・アッシャーのHP

Jane_asher

先日ジェーン・アッシャーの話題を取り上げましたが、彼女のHPを見つけました。ケーキのレシピなどを紹介する内容ですが、BIOGRAPHYではポールのことには一切触れられていませんでした。当たり前のことかもしれませんが、彼女にとってはもう遠い昔のことなのでしょう。(写真のジェーンは相変わらず美人でした)

 

Jane_asher_3Janeasher_cake 次のURLへどうぞ。

http://www.jane-asher.co.uk/

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もうひとつの今年記念すべきこと

今年はSGT.PEPPER'Sのほかにもうひとつ大切な出来事の50周年記念の年でもあります。

The_day_john_met_paul_pb1957年7月6日にジョンとポールが初めて出会ってから50年になるのです。まだ記念行事の話は聞いていませんが、私ひとりでも「お祝い」しようと思います。実は私事で恐縮ですが、1957年は私が生まれた年でもあります。一緒にお祝いしてしまおうという、都合のいい話なのです。(笑)

The_day_john_met_paul_pb2 この年、この日がなければ世界の音楽は未だにつまらないものだったかもしれないと思うと、本当に重要な出来事だったと思います。こう考えると、世の中に起きる重大な出来事は、「偶然」に起きるのだとは思えなくなります。起こるべくして起こるのだと考えるのが正しいのかもしれません。

The_day_john_met_paul 今年の7月6日は、「ジョンとポールに感謝する日」と勝手に決めさせていただきます。(笑) 彼らがいなければ、60年代以降の世界中の人たちの生活には潤いがもたらされなかったことでしょう。また、酷い戦争も起きていたかもしれませんね。音楽の力を世に示してくれた彼らの、大切な「50周年」です!

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2007年1月 1日 (月)

Sgt. Pepper's 40周年の年を迎えて

Sgt あけましておめでとうございます。来日40周年で盛り上がった昨年に引き続き、今年はSgt. Pepper'sのリリースから40年目に当たる年。40年前の今頃、ビートルズはニュー・アルバム製作のために、アビーロード・スタジオに閉じこもり、ロックの歴史に大変革をもたらす大作業をしていました。

今年1年は、Sgt. Pepper'sの話題を中心に、もう一度ビートルズの成し遂げた偉業を振り返ってみたいと思っています。昨年にも増してマニアックになるかもしれませんが、多くの方々からのコメントをお待ちしております。

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