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2006年12月

2006年12月31日 (日)

来日40周年の年の終わり

Rimg1091 4月から始めたこのブログも、そろそろタイトルを変えなければならなくなりました。始めた4月にはアクセスが全くなく、いったいどうなることやらと思っていましたが、その後多くの方々からアクセス、コメントを頂き、なんとか格好が付いてきました。

Rimg1104 ビートルズ来日40周年ということで、6月から8月にかけて様々なイヴェントが開催されましたが、10年後の50周年にはこれほど盛り上がらないのではないかと予測します。何故ならば、東京ヒルトン(キャピトル東急)の建物もなく、東芝EMIも消え、次々と当時と関わりのあった場所が消えている、そして当時を知る人がどんどん少なくなっているからです。今年は日本とビートルズとの関わりという点で、まさにひとつの節目の年であったと思います。

Rimg1113 来年(といっても明日からですが)はSgt. Pepper's 40周年の年。その話題が多くなると思いますが、今年よりさらに自由に書き込んでいこうと思います。

アクセス頂いた皆様にとって、来年が素晴らしい年でありますように、心からお祈り申し上げます。2007年もどうぞよろしくお願い致します。

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2006年12月29日 (金)

「リバプール・オラトリオ」が舞台化

1991年に発表されたポールのクラシック作品「リバプール・オラトリオ」が舞台化される模様。1991年にはキリ・テ・カナワを迎えて話題になったこのクラシック作品。日本では1992年6月17、18日にカール・デイヴィス指揮で新日フィルが演奏しました。(当時、聴きに行ったのですが、テノール歌手が歌詞を平気で間違えていたのには驚きました)

詳しい情報は以下のビルボードのサイトへ。(この中でオラトリオの登場人物が“Shandy”と紹介されていますが、“Shanty”だったはず)

http://www.billboard.com/bbcom/news/article_display.jsp?vnu_content_id=1003525789

ビルボードのサイトを見ると、今でも“LOVE”がインターネット・チャートで1位です。いろいろビートルズ「原理主義者」からの批判はあったものの、これで新しいビートルズの形が世の中に受け入れられたことになりますね。(でももう同じことはやらないで欲しいとも思ってます。柳の下に2匹目のドジョウはいないから。また「原理主義者」のテロ攻撃があるかもしれませんので。〔笑〕)

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2006年12月25日 (月)

ジェーン・アッシャー

Janeasher 今日12月25日は、ポールとジェーン・アッシャーが婚約した日。それでもポールの心の中では葛藤があったに違いありません。労働者階級のポールにとって、いい家柄のジェーンとの関係はしっくりいっていなかったのではないかと思われます。婚約後のジェーンはポールのことを「我儘な人よ」と語ったことがあります

 

ジェーンは子供の頃から既に女優として活躍。その仕事柄、ポールとのすれ違いも多かったようです。そんな生活の中から、ポールが「働く女性」= ジェーンをイメージしてFor No OneやAnother Dayといった曲を作ったようです。あまり彼女の映画を観たことはないのですが、テレビ東京で「早春」という作品を観たのを記憶しています。

Jane_asher_7 ジェーンとの婚約後間もなく、ポールはリンダと出会うことになり、ジェーンとの婚約は1968年に解消となります。今、ジェーン・アッシャーはどうしているのでしょうか?数年前、料理の研究家として成功しているというニュースが伝えられていましたが。

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一青窈とレノン=マッカートニー その3

Bestyo 久々に一青窈の話題を。少し前の話ですが、12月3日によみうりランドで行われた一青窈の無料コンサートに行って来ました。当日はどんよりと曇った少し寒い日でしたが、よみうりランドは人の列、そしてまた列!屋外の会場は1万人できっしり満員。ファンクラブに入っている私は、屋外会場の一番前の方の席に座ることができました。(一青窈はファン大切にする人なんです) いつも「魂」のこもった歌を歌い私達を感動させるのですが、この日はそれを飛び越えて「神懸り」的なことが起きました。

  コンサートも終盤、一青窈が名曲「ハナミズキ」を歌っている時、彼女に大きなスポットライトがあたりました。「いやにでかいスポットだなあ」と後ろを振り返ってみると、なんとそこにはその日全く「顔」を見せなかった太陽が、雲のほんの少しの隙間から光を放っていたのでした。さらに驚いたことには、彼女が歌い終わって舞台から消えた瞬間に、スーッと太陽も雲に隠れてしまいました。会場にいた人たちは、コンサート終了後みんなこの出来事を話題にしていました。 「自然の演出」なんて、初めて見ましたね。そこにいなかった人は多分「そんなの偶然だよ」というでしょう。でも「ハナミズキ」の時だけ太陽が出てきて、一青窈を照らし、彼女が舞台を降りたら太陽も消えてしまうなんて、偶然にしても出来すぎです。今流行の「スピリチュアル」という観点から説明がつかないかなと思って、色々調べてみましたところ、よみうりランドからさほど遠くない所にある神社では「アメノウヅメノミコト」を祀っているとのこと。アメノウヅメノミコトとは、アマテラスオオミカミ(太陽の神)が天岩戸を閉めて隠れてしまいこの世を真っ 暗にしてしまった時、岩戸の前で賑やかに踊りを踊って引き篭もっていたアマテラス(太陽)を外へ呼び戻した、芸能の神です。伝説ではありますが、この伝説を読んで一瞬「ハッ」と思ってしまいました。

実はジョンもポールも結構神懸っていることがあり、インタビューでも、「いい曲は考えて出て来るのではなく、天からやってくるのだ」という内容の話をしています。天才と呼ばれる人たちは、凡人にはない「何か」があるのだと思います。

当日の詳しいレポートは以下のURLで。

http://columbia.jp/~hitoto/bestyo_livereport.html

コンサートの無料動画は以下のURLで。

http://video-search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&fr=top_v2&p=%E4%B8%80%E9%9D%92%E7%AA%88

今、一青窈のベストアルバムは60万枚を売り上げ、今でもオリコンのアルバムチャートの上位にランクされています。(やっぱり「本物」だった!=詳しくは8月のブログ「一青窈とレノン=マッカートニー」をご覧下さい)

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2006年12月24日 (日)

映画「硫黄島からの手紙」

このブログで、直接ビートルズに関係ない内容を扱うのは初めてではないかと思います。久しぶりに映画館で映画を観てきたので、その話題を。観た映画は「硫黄島からの手紙」。「ダーティ・ハリー」で有名なクリント・イーストウッドが監督し、日米双方からの視点で硫黄島での戦いを描いた2部作のうちのひとつです。(アメリカ側からの視点での映画は「父親たちの星条旗」)主演は渡辺謙、助演として嵐の二宮和也。観たあとの感想は、クリント・イーストウッドはこの映画を「ニュートラル」に描いているなということ。観る前は、アメリカ人の見方で日本の軍隊を正確に描くことができるのだろうかと思っていたのですが、イーストウッドは実に公平にかつリアルに日本人を描いています。(日本軍の残虐な場面もあれば、バロン西を通してヒューマニティ溢れる日本人の優しさも描かれている)

映画の中でもっとも悲しかった場面は、たった2万の日本軍に対し、3倍近くの兵力、圧倒的な戦力(軍艦、戦車、装甲車など)の米軍が次々と上陸してくる場面。観客としてこの映画を観ている私でさえ、絶望感に陥りました。

「救い」となる点もありました。栗林中将とバロン西が、アメリカに渡った経験からアメリカ人をよく理解しており、アメリカ人が憎くて戦いをしているのではない、という点。あくまでも「日本のため、日本の子供達、日本の未来のため」に戦っているということ。これは現在の日本人に対する重要なメッセージであると思います。平和のためには異文化の人々に出会いよく理解すること。それが平和の原点であり、日本の未来に繋がるということ。そのためにも戦争は絶対にしてはならないこと。英語を教えている身として、このことはしっかり生徒に伝えておきたいと思います。

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2006年12月20日 (水)

“LOVE”のLP、1月にリリース!

全世界でかなりの売り上げがあったためか、急遽“LOVE”のLPの発売が決定しました。レコードで聴くとどうなるのか、今から楽しみです。2枚組みになる模様です。下のURLで情報を確認して下さい。

http://www.musicdirect.com/products/detail.asp?sku=LIB0811-2&j

Love_uk_abbey_road_promo_kit_for_the_pre もう一つLOVEの話題を。アビーロード・スタジオで行われたプレス向けの発表会にて配布された、限定100セットのプロモ・セットが届きました。アップルの袋の中に、CD、バッジ、EPKのDVDが入っています。このEPKはビートルズの公式サイトで見るものよりも遥かに画像が鮮明です。

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2006年12月10日 (日)

40年後の武道館にて

Budokan_2 40周年ということで、まだ行っていない記念の場所がありました。そうです、「武道館」です。エリック・クラプトンのツアー最終日に、「40年後の武道館見学」ということになりました。

Budokan4_2 運良くA4の最前列の席がとれ、クラプトンを間近で見ることができました。やはりWONDERFUL TONIGHTやLAYLA、CROSSROADSといった曲の時には盛り上がりましたね。クラプトンは終始にこやかで、リラックスした感じでしたが、前回99年に見た時よりも、生き生きしていました。若いギタリストをバンドに入れた影響ではないかと言われているようですが。

Budokan2_3 自分の武道館コンサート暦は1973年のジョーン・バエズに始まり、74年のポール・サイモン、75年のジョン・デンバー、76年のオリヴィア・ニュートンジョン、78年のボブ・ディラン、85年のジュリアン・レノン、89年のリンゴ・スター、99年のエリック・クラプトンですが、フォーク系が多いですね。悔しい思い出もあります。1980年、徹夜で並んで、やっとの思いでウィングスのアリーナ席のチケットを取ったのですが、結局公演が中止となってしまいました。

Budokan3 この場所で数々のアーティストたちが「伝説」を作り上げて来ましたが、ここでもビートルズが「最初」なのですね。40年前の6月30日~7月2日に、この武道館に来られなかったことは、私の一生の悔いとして残ることでしょう。

エリック・クラプトン最終日のセットリストです。

Tell The Truth
Key To The Highway
Got To Get Better In A Little While

(ここでクラプトンのウドー関係者への謝辞)

Little Wing
Why Does Love Got To Be So Sad

(Acousitc Set)
Rambling On My Mind
Outside Woman Blues
Nobody Knows You When You're Down And Out
Running On Faith

Motherless Children
Little Queen Of Spades
Anyday
Wonderful Tonight
Layla
Cocaine

Crossroads

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2006年12月 8日 (金)

ジョンの命日

Rimg1066Rimg1063  もう26年も経ってしまったのですね。当時私は23歳。大きな法規出版社に勤務していたのですが、仕事が自分には全く向いておらず、もう辞めようかと思っていた頃でした。1980年12月10日朝、在日米軍の放送局FEN(現AFN)から何度も流される“JOHN LENNON ”のニュース。最初は「またジョンの奴、麻薬でもやって捕まったかな?」と軽く考えていたところへ“DEATH OF A BEATLE”というアナウンス。「えっ?聞き間違えたかな?」と思ってもう一度聞きなおすと、“JOHN LENNON WAS SHOT DEAD”という英語が流れて来て、“そんな馬鹿な!”と慌てふためきました。TVでも「ジョン・レノン射殺」のニュース。駅の売店にあるスポーツ新聞の一面は、皆「ジョン・レノン死亡」の記事。悪夢の1日でした。

Rimg1067 Rimg1070仕事から帰って、当時のニューアルバム「ダブル・ファンタジー」に針を落としました。“WOMAN”が流れた時、自然に涙がポロポロ頬を伝い、その時「自分の青春は終わった」と自覚したのでした。

数日して、ジョンのインタビューを載せたプレイボーイ誌が発売され、早速購入して読んでいくと、“Produce your own dream. It's quite possible to do anything. I can't wake you up.  You can wake you up.”(自分の夢は自分で作るのさ。何をやろうとも可能だ。僕には君の目を覚ますことはできない。君にならそれができるんだ)という一節が目に入りました。このジョンの遺言により、自分は教員の道をめざすことを心に決めたのです。

あれから26年。自分の教員生活ももう終わりに近づいて来ているようです。でも精一杯やってきました。このジョンの言葉に励まされ。

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