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2006年9月

2006年9月27日 (水)

LIVING IN THE MATERIAL WORLD

Litmw LIVING~のリマスターCDが出ました。今回はオマケのDVD目当ての人が多いのでは?15年前の12月15日東京ドームでの“GIVE ME LOVE”の映像が残っていたなんて!当時ビデオ発売の予定があったので、おそらく1公演分まるまる残っているのでしょうね。小出しにしないで、DVD「LIVE IN JAPAN」を出して欲しいですね。

淡々と“GIVE ME LOVE”を歌うジョージがとてもいい。うしろで目立たないようにクラプトンがギターを弾いています。派手な演出はありませんでしたが、公演前に本人が言っていたとおり「聞かせる」コンサートでした。もっと小さな会場で聞きたかったなあ。ジョージの日本公演に関しては、またいつか書こうと思います。

今回のリマスター盤のサイトです。GIVE ME LOVEも一部見ることができます。

http://www.georgeharrison.com/

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「ビートルズから始まる」スペシャル・パーティ

昨日、舞浜のクラブ・イクスピアリで開催されたBAY・FM「ビートルズから始まる」公開録音・スペシャル・パーティへ行ってきました。ビートルズ云々より、昔からのあこがれ、目標だった小林克也さんに会えるのを楽しみにしていました。

今でこそ英語が達者なDJは沢山いますが、昔はいい加減な英語でDJをしている人が多かったのです。そんな時代に、小林克也さんは日本人離れした英語の発音で、物凄くかっこいいDJをやっていました。1973年頃だったか、ニッポン放送「オールナイト・ニッポン」で、小林さんがリンゴ・スターに国際電話インタビューをした時のカセット・テープは今でも大事に取ってあります。最近、癌の摘出手術をして退院したばかりということで心配していたのですが、昨日の小林さんは元気そのものでした。

できればゆっくり小林克也さんとお話がしたかったのですが、そのような雰囲気ではなく、来場者は石井食品が出した料理を「一生懸命」食べていました。

この日の公開録音の模様は、10月1日夕方6時からのBAY・FM「ビートルズから始まる」で放送されます。(内容はたいしたことないかな?もっと小林さんのしゃべりが聞きたかったですね)

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2006年9月25日 (月)

DVD「ビートルズ誕生秘話」

Photo_1 今までピート・ベストに関する書物やビデオは数多く発表されて来ましたが、最近発売されたこのDVDは真の「ピート・ベスト・ストーリー」と呼べるものだと思います。コレクターの観点から言うと、目玉はビートルズの現存する最古の映像(1962年2月)が収録されていることでしょう。黒い革ジャンを来たワイルドなビートルズを見ることができます。かつて最古の映像と言われていたキャヴァーン・クラブの「SOME OTHER GUY」よりも古く、しPhoto_5 かもカラーなのが驚きでした。本来ならば「BEATLES ANTHOLOGY」に収録すべき映像だと思いますが、提供しなかったピート・ベストの「意地」を感じます。(というより後から見つかったのかもしれませんが)

このDVDの中には、「カスバ、キャヴァーンやハンブルグを見ていなければ、本当のビートルズを見たことにならない」と言った関係者の話が多く、デビュー以後からのビートルズ・ファンにとっては少々悔しい思いがするのではないでしょうか。また今まで良く語られていた「ピートはドラムがヘタなので外された」ということが嘘であることが、当時の関係者からの(オーディションに立ち会ったEMI関係者からでさえも)証言で明らかにされます。

このDVDから、デビュー前のビートルズにとって重要な人物はブライアン・エプスタインではなく、ピートの母親モナであることが良く分かります。当時女性がマネージャーをすることなど不可能だったと思いますが、彼女はしっかりその役割をしており、今ならば腕利きのマネージャーとして活躍できたのではないでしょうか。ポールでさえ、このモナには一目置いています。こうした隠れたビートルズ誕生の立役者を語ることは、ビートルズの過去の伝説、というより偽り、嘘を正すには重要なことだと考えます。

結局、ピート・ベストが外された真相は明らかになっていませんが、恐らく他の3人の(特にジョンとポールの)嫉妬とフィーリングが合わないことが原因だと思われます。ピートが一番女の子から人気があったこと、性格が冷静すぎること、そしてモナの存在。デビュー直前では彼女の存在が疎ましくなっていたのではないでしょうか?

そしてもうひとつ付け加えるとすると、このDVDには出て来なかったジョージ・マーティン。当時のロックバンドのドラマーに対する彼の見方が厳しすぎたのではないでしょうか。要求するものが高過ぎて、当然ピートの技量はそれに見合わなかったのでは。その証拠に、ピートに代わって連れて来たドラマー、リンゴにも「LOVE ME DO」の録音ではOKを出さず、セッション・ドラマーを呼んでいます。「ピートは良くない」というジョージ・マーティンの完璧主義的な性格から出た意見で、それにのったジョンとポールがここぞとばかりにピートを外す決断をしたのではないかと推測するのですが、如何でしょう?

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2006年9月24日 (日)

リンダ・マッカートニー

今日9月24日は、リンダ・マッカートニーの誕生日です。最近のポールのニュースを聞くと、リンダが生きていてくれたなら、と思ってしまいます。

リンダ・マッカートニーに関する詳しい情報はウィキぺディアをご覧下さい。(Googleで「リンダ・マッカートニー」を検索すると出てきます)

ウィキペディアを読むと、大変興味深いことがいくつか出てきます。かつてリンダとヨーコが同時期に同じ地区に住んでいたとか(勿論2人がビートルズの2人と出会うずっと前です)、ポールがヘザー・ミルズとの交際を正式に発表した頃にリンダの元夫が自殺をしたとか、何か因縁めいているものがあります。

Lindasp_2 左の写真は、リンダの父リー・イーストマンが弁護士をしていたジャック・ローレンスによって1944年に書かれた「LINDA」という曲のSP盤です。つまりこれはリンダのことを歌った曲のレコード。ポールがアルバム「McCARTNEY」で「LOVELY LINDA」を歌う25年以上前のことです。レコード自体はレイ・ノーブル&バディ・クラークによって1947年に発表され、全米2位となる大ヒットになりました。   

Lindasp2 大ヒット曲には競作がつきもので、これは「LINDA」のチャーリー・スピヴァック盤。このレコードも全米6位になっています。

 

Rimg0633 「LINDA」は1963年にリヴァイヴァル・ヒットします。当時ビーチボーイズとともに人気のあったウエスト・コーストのサーフィン・ミュージック・グループ「ジャン&ディーン」によって、モダンなアレンジでリリースされ、大ヒットとなります。

このように、リンダ・マッカートニーはほぼ生まれながらにして、音楽界と深い縁があったことがわかります。幼少時に自分のことを歌った曲が大ヒット、バディー・ホリーなどの音楽が大好きだった少女時代、ミュージシャンを撮る写真家としての活動、世界最高のロック・バンドの男性との出会い、自分自身も音楽界に登場。まさに「運命」としか言えないリンダ・マッカートニーの人生です。

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2006年9月15日 (金)

一青窈とレノン=マッカートニー その2

11日も間があいてしまいました。(いかん、いかん!)

最近、一青窈を褒めてばかりいたので、今日はひとつだけ欠点を...。

アルバム「&」ではかなりロック色が強くなってきたのですが、まだ詩がロック調の曲にうまく融合していないような気がします。「Oh la la」のようなフォーク調の曲は詩とぴったりの感じなのですが、「Banana millefeuille」や「ピンクフラミンゴ」のようなロックっぽい曲は「うーん」と思ってしまう。「指切り」はいいと思いますが。

昔よく「日本語はロックにはならない」なんて言われていました。誰が言ったのかわかりませんが、ほんとに間抜けな意見で、今ではそんなこと思っている人はまずいないでしょう。でも、一青窈の「&」を聴くと、詩によってはロックにするのには難しいこともあるのかなと考えてしまいます。いずれにせよ、次回のアルバムでどのように変わるのかが楽しみですが。

もし一青窈がロックのバイブルであるビートルズのアルバム(私のお勧めは「ホワイトアルバム」)を聴きなおしてくれたら、ヒントが見つかるかもしれませんね。英語と日本語の違いはあっても、音の響きでインスピレーションが沸くと思います。

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2006年9月 4日 (月)

IMAGINE

アルバム「IMAGINE」は日本では1971年の秋にリリースされましたので、今年で35周年ということになります。当時はそれほど騒がれたアルバムではなかったと記憶していますが、IMAGINEはもとより、JEALOUS GUY、OH, MY LOVE、HOWといった繊細な詩が静かにゆっくりと私たちの心の中に入り込んで、それが1980年に世界中の人々の心を揺り動かすものとなりました。やはりこのアルバムは傑作です。ポールも「IMAGINEは好きだ。ジョンの良さがとてもよくわかるアルバムだ」と言っています。

Rimg0760_2Rimg0759_3  左の写真は日本盤オリジナルLPです。ポスターやカードなどオマケが付いていたのが嬉しかったですね。ジョンとヨーコの写真を使った帯、いいですね。

 

Rimg0774_2 UK盤オリジナルのレーベルです。UK盤はジャケットがコーティングされていてとても美しいのですが、ジョンの写真が鮮明なレーベルもいいです。

 

Rimg0775_2Rimg0779_1 初期の US盤には他国盤とは違うカードが入っていました。やっぱり豚のカードの方がいいですかね?

 

Rimg0790_1 ちょっと珍しいパーロフォン・レーベルの南アフリカ盤オリジナル。 南ア盤を聴くと、音の分離が悪くまるでモノラルのように聞こえます。

 

Rimg0793_6 こちらもアップルではない、ブルー・オデオン・レーベルのスペイン盤。アップルのフェイス・レーベルを見慣れている人には、とても違和感があるのではないでしょうか? 

 

Rimg0814_2 これはもっと珍しい、「ゲット・バック・セッション」でのジョンの写真が使用されているアルゼンチン盤。今のCDはジャケットも音も何もかもが同じでつまらないですね。70年代のLPはレーベルだけでも楽しめます。

   

Rimg0851_2Rimg0860_2 これは超レアなブラジル盤モノラルのLPです。何故かフェイス・レーベルが使われず、白っぽいアップル・レーベルです。MONOの表示があります。 

 

Rimg0798_5Rimg0845_3 70年代前半は4チャンネルLPが世界各国で作られていました。左は日本盤、右はUK盤フランス輸出用の4 チャンネルLP。 他にはオーストラリア盤、西ドイツ盤があります。 ちょっと面白いミックスに出会えます。  

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2006年9月 3日 (日)

40周年記念行事後のキャピトル東急

もうビートルズ来日40周年記念の騒ぎがあったのは遥か昔のことのように思っていましたが、いえいえ、まだ続いています。キャピトル東急には、まだファンからあることに関して問い合わせが来ているそうです。次のURLでニュースを読んでみてください。

http://www.business-i.jp/news/sou-page/news/200609020010a.nwc

まあ、こうなることは予想できていたことですが、キャピトル東急がオークションをすれば、かなり売り上げがあるのではないでしょうか。それでも私は、殆どのものは再利用して、新しいホテルに博物館のようなものを設けて欲しいと思ってます。そうすることによって、これからもビートルズ来日を回顧し、語り継ぐことができるからです。キャピトル東急さん、宜しくお願いします!(客も呼べると思いますよ!ビートルズファンは世界中にいるのですから)

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