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2006年8月

2006年8月27日 (日)

オデオン・マジック

「オデオン・マジック」という言葉をご存知ですか?オデオンとはあのエヴァー・クリーンと呼ばれるオデオン赤盤のことです。今日は不思議なこのオデオン赤盤のお話を...。

Rimg0671 リアルタイムのファンならば1枚や2枚もっているであろう、このオデオン赤盤ですが、私が集め始めたのは10年前くらいからです。その中にはキズがあまり無い、かなり綺麗な盤もありましたが、キズがあるものも結構ありました。ところがそのようなレコードをかけてみても、あまりノイズが出ないことに気づきました。(もちろんかなりひどいキズの場合は別ですが)綺麗な盤は当然ですが、キズがそれなりにある盤も、あまりノイズが出ない安定したいい音で聴くことができる。このレコード製作技術は大変素晴らしいものではないかと思ったものです。もしまともなテープをEMI本社から東芝音工が送ってもらっていたならば、世界で最も音のいいビートルズのレコードが出来ていたのではないかと思ってしまいます。(60年代、東芝音工はアメリカのレコードから音を落としてレコードを作っていたなんて話も聞いています)このオデオン赤盤の製作について詳しい方がいらっしゃいましたら、ぜひご一報ください。

同じ赤盤でもアップルになってしまうと、全く音が違ってしまっています。ノイズは出やすいし、キズなどつこうものなら、針飛びも起こしかねない。このあたりの経緯も、詳しい方がいらっしゃったら、お話を聞いてみたいものです。

ビートルズのアルバムを、ダイレクト・ハーフ・スピード・マスターを使用し、オデオンの赤盤で製作したら、MFSLもNIMBUSもぶっ飛ぶようなレコードが存在したかもしれませんね。昔の日本のレコード製作技術者の方は、まさに「職人」だったのではないでしょうか。

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2006年8月26日 (土)

ビートルズはおもしろくなくなる?

60年代、70年代と比べて、ビートルズがおもしろくなくなっているのではないかと危惧しています。それは前にも書きましたが、EMIやアップルなどによる「ビートルズの規格統一」が行われているからです。これは80年代から始まったと記憶していますが、それまでレコードのジャケットは、世界各国で様々なデザインのものが作られていました。今はすっかりイギリスのオリジナルに統一。(若い人たちの中でも、もう見飽きたという人が多いのでは)東芝EMIがアナログを復刻しようとしても、日本のオリジナル・ジャケットのデザインを使用できない。キャラクター商品もお決まりのデザインで魅力のないものばかり。果たしてあんなもの売れているのでしょうか?はっきり言ってファンを無視しているとしか思えない。

ここ数年でリリースされたものも焼き直し的なものが多く、例えばアルバム「イエローサブマリン・ソングトラック」や「1」などはひどい。既存のものを適当に手を加えただけ(音を良くしたと言って)のもの。「1」に至っては1位の曲を集めたと言っておきながら、「Please Please Me」や「Strawberry Fields Forever」が入っていない。(CD1枚に収めようとしたためだろうけど)もうコンピレーションアルバムはレッド・アンド・ブルーがあるのだから、今更作る必要もないのに。ここに浮かび上がるのが、アップル、EMIの利己主義です。外に対しては規制を強める一方で、自分たちは勝手につまらないものを作っている。「1」のアートワークもひどいもの。まったくビートルズらしくないジャケットでした。あんなものを出すくらいなら日本の優秀なイラストレーターに任せてくれれば、世界中のファンを納得させるものができる!アップル、EMIがビートルズをブランド化すればするほど、ビートルズが面白くなくなっていく気がします。もっとファンの希望に沿うように商品を作れないものでしょうか?

そこでアップル、EMIに提案!というより要求!!

①今、紙ジャケットCDが流行ですので、日本のオリジナル・ジャケット(オリジナル帯を付けて)での販売。(世界各国でも同様のことを)できれば帯に印刷されている当時の値段で!(定価1800~2000円でも十分儲けがあるはず)⇒これは絶対に売れる!東芝EMIさん!本社の言いなりになってないで、たまには独自の意見言ってみてくださいよ!)

②日本独自でMFSL、NIMBUSを凌ぐ高音質アナログ・レコード製作、発売。オーディオ・マニアもきっと買います。(日本のアナログの品質は高い!)

③もっとマーケティング調査をしっかりやった上で、CD、レコード、DVD、キャラクター商品を販売。(「レット・イット・ビー」や「東京公演7月1日」のDVDは誰もが待っています!プロモ・ビデオもまだ正式に発売されていないものがある)

④商品の値段を、若い人たちが買える適正価格に!(ビートルズをダウンロードして聞こうなんて思わせない価格に!)⇒特に東芝EMI、高過ぎ!

ちょっとはファンの声を聞いてくださいよ!こんな胡坐かいた古臭い商売のやり方してたら、そのうち萎んでしまうよ!東芝EMIも社屋売却になってしまったんでしょ!今度は会社自体がなくなってしまいますよ。社員のリストラする前に、もっと頭使ってよ!

The customers are always right!⇒東芝EMIのトップの人、日本語にしてみてください!

今日は怒りの内容でございました。

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2006年8月25日 (金)

SILLY LOVE SONGS

30年前の今頃は以前も書きました通り、WINGSの全盛時代で、SILLY LOVE SONGSが大ヒットしていました。SILLY LOVE SONGSはマスコミの「ポール・マッカートニーはくだらないラヴ・ソングしか書かない」という批判に対して、「僕はこの世をラヴ・ソングで満たしたい。それが馬鹿げたことかい?」という内容のアンサー・ソングだったわけですが、大ヒットしたことにより、マスコミを黙らせてしまいました。

Rimg057921世紀に入って、この歌はクラブハウス向けのミックスが多数作られました。左の写真は、アルバム「WINGSPAN」がリリースされた時に、メキシコで製作されたリミックスのSILLY LOVE SONGS収録のプロモCDです。Artful Dodger Mix、Wings vs Loop Da Loop Main Mix、Wings vs Loop Da Loop Radio Mixの3種類のミックスを収録しています。

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次は、日本の東芝EMI及びドイツのプロモCD。ドイツ盤は上記の3曲、日本盤はその3曲にオリジナル曲を加えています。各国でスリーブが違うのも面白いです。ドイツ盤の紙スリーブが私のお気に入りです。このほかに当時のプロモとしてはギリシア盤があるのですが、SILLY LOVE SONGSは収録されていないため、ここでは省きました。

Rimg0591 次はアメリカ盤のプロモCD。このあたりになると、殆ど日本には入って来ていないのではないかと思います。3種類のミックスの他に、Coimg Up(Song for Stella) 〔Linus Loves Mix〕とLet'em In(Different Gear Remix) 収録。                                                        

Rimg0583 クラブハウス及びラジオ局用に、12インチ・アナログも製作されました。左の写真は限定50枚のプロモで、DJやオーディエンスの評価カードが付いています。レーベルには収録曲がスタンプで記されています。Wings Loop Da Loop Mix収録。 (B面はComing UpのLinus Loves Mix)

Rimg0610 こちらの12インチはショップにも出回ったもので、プロモCDと同じ3種類のミックス収録。Artful Dodger Mixをよく聴くと、原曲には入っていないポールのヴォーカルが聴こえて来ます。(新たに録音したのか、それとも76年当時録音したヴォーカル・トラックを加えているのか)           

Rimg0588 2年ほど前に、新たなミックスも出ました。この12インチのレーベルには EXTENDED VERSIONと記されていますが、Radio Slave Mixと呼ばれています。ビートルズ・ファンにも結構聞きやすいミックスです。一応UK盤。

 

Rimg0589_1 最後はデンマーク・プロモCDのNoir & Kruse Remix.。 これは“I love you”という部分のリフレインが多く、あまりいい出来とは言えません。このCDはプロモといいながら大量に出回っていて、海外でもせいぜい3ドルから5ドル位で購入できます。

ポールはとにかくクラブハウスで自分の曲をかけてもらいたいようで、数多くのDJにリミックスを許可して、今回紹介したようなプロモ盤を作らせているようです。レギュラーの日本盤では東芝の「NOW 2001」の中にLoop Da Loop Radio Mixの短いヴァージョンが収録されていましたが、今では廃盤になっています。

お勧めはArtful Dodger Mixですね。先ほど書きましたように原曲にないポールのヴォーカルが入っていることと、聴きやすいということで。

DJによってリミックスされ、クラブハウスでかけられることによって、WINGS時代の曲も生き続けていくのかなと思った次第です。クラブハウスって実はあまり興味ないのですが。

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2006年8月23日 (水)

一青窈とレノン=マッカートニー

もしかしたら、まだ誰もこんな比較をやっていないかもしれませんが、

「一青窈とレノン=マッカートニー比較論」!!

一昨日書いた通り、ここ数ヶ月TVというものを見ていなかったのですが、一昨日の「ビートルズの103時間」に続いて、今日の午前2時40分くらいから一青窈の特番「二十一世紀の音霊 一青窈」をしっかり見てしまいました。あまり日本のアーティストには興味を持たない私が、ぐいぐいと惹きつけられてしまったアーティストが彼女なのです。2年前、TV東京の北野武の音楽番組で「ハナミズキ」を歌っている彼女を見た時、「この歌手、本物だあ」とインスピレーション!一青窈が歌い終わると、もう一人の出演者フジコ・へミングが「あなたはいいわね。魂で歌っているから」とひとこと。「あっ、やっぱり!」と自分のインスピレーションに自信を持ちました。(笑)

一青窈は9歳で父親を亡くし、16歳で母親も逝去。ジョン・レノンは17才で、ポール・マッカートニーは14歳で母親を失っています。(映画「I AM SAM」の中で「母親がいないのはその人が特別な人だからだよ」というような台詞があったことを思い出します)

母親を失うことで、ひとりの人間が受ける心理的影響は様々でしょうが、この3人は作品の中で自分の心の内を表現しています。一青は「影踏み」という曲の中で、それまで封印していた母への思いを表に出します。ジョンは「JULIA」、「MOTHER」で、ポールは「YESTERDAY」、「LET IT BE」の中で、母への想いを表現しています。3人のこれらの曲はどれも名曲です。(「影踏み」の中に「突然夢、が醒めて 迷子のきもちで悲しくなった」という一節があるのですが、私も亡き母親の夢を見ていて、ふと醒めると本当にそのとおりの気分になったことがあります)「影踏み」は、フジの「めざましTV」の中で初披露となりましたが、聞いていた高島アナ(アヤパン)が泣いてしまったのを覚えています。

堪えていた悲しみを「詩」という形で一気に昇華するこの表現方法は、「アーティスト」でなければ出来ないこと。しかもそれを「傑作」にしてしまうことは。

一青窈が詩の中で読点を打つ位置は意表をつくようなところにあります。でもそれこそが彼女の特徴だと思っていますが、ジョンやポールも既成の形にとらわれない言葉の遣い方をして来ました。詩の内容も難解で、読む(聞く)側の想像力を掻き立てる。そして3人とも言葉の響きを大事にしている。一青の「いないばぁ」という曲で「茶化す ちゃかす ちゃかす」という一節があるのですが、これがまるで日本語ではなく外国語のような響きを持っていて美しい。聴いていてとても心地よい。ジョンの場合は「PLEASE PLEASE ME」と言うように、意味より響きの良さからできたものもあります。一青のアルバム「&」は、「安堵」と同じ響きでしかもその形がまるで人が腰を下ろしてリラックスしているようなところから付けたようです。ビートルズのアルバム「RUBBER SOUL」は、普通耳で聞いたら「RUBBER SOLE」だと思うでしょう。このフェイントがビートルズ!レノン=マッカートニーは言葉の「魔術師」、一青窈は言葉の「魔女」!!かな?

ビートルズがインターナショナル、ワールドワイド、そして世代を超える存在であったのと同じように、私は一青窈もそうなる可能性があると予想しています。彼女の「ハナミズキ」は未だに「カラオケ・チャート」の上位にあるし、コンサートに来る人たちの年齢層は幅広いし。あとは彼女が中国語だけ、英語だけの詩を書いて歌った時にどうなるか、です。坂本九以来、日本からは久しく出ていないインターナショナル、ワールドワイドな歌手になって欲しいと願っているのですが...。(きっとこの話題はいつかまた復活します。まだまだ語りつくせない!)

九星術でいうと一青窈はジョン・レノンと同じ六白金星。(九つある星の中で、最もいい星だと私は思っています)この星の象意には「名誉、完成、完全、上等(暴走族とは関係なし)、高級、上品、正直、財産、高貴、向上、大器、光」などがあります。ポール・マッカートニーの三碧木星(「音、音楽」の象意)に「メロディー」で対抗しては勝てませんが、詩作の面ではおそらくどの星よりもすばらしい才能を発揮することでしょう。 今年の六白金星は、今後10年先を決定する大事な時を迎えています。全国ツアーの成功、新しい試みがうまくいっていることを考えると、来年から2年の衰運期を経てその後ますます大きく成長すると思います。

一昨日録画した「ビートルズの103時間」と同じビデオテープの中に、「二十一世紀の音霊 一青窈」を録画しました。彼女が世界で活躍するアーティストになってくれることを祈願して。

PS 一青窈が好きな女性歌手、LYNSEY DE PAULはリンゴ・スターの元カノでした。そして、ポールが1990年に来日した時に、地球環境保護をテーマに植樹した木は「ハナミズキ」でした。(こじつけのように共通点を見つけ続けてます)

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2006年8月22日 (火)

8月は終わりを告げる月

不思議なことにビートルズにとって「8月」は、大きな区切り(終わり)であることが多いです。1963年8月3日にキャバンクラブでの最後の演奏、1966年8月29日にサンフランシスコ・キャンドルスティック・パークにてコンサート活動を終了、1967年8月27日には、マネージャーのブライアン・エプスタイン死去、リンゴが一時脱退したのが1968年の8月22日、1969年8月20日は4人が揃ってアビーロード・スタジオに集まった最後の日、同22日にはジョンの家においてビートルズとして最後のフォト・セッション(実質的にはこの日がビートルズの終焉の日?)といった具合です。偶然と言ってしまえばそれまでですが、本当に不思議です。

ビデオ「Anthology」の最後で、1969年8月22日のフォトセッションの時の映像が出てきます。悲しい気持ちになるのとともに、何故か物凄く「感動」するシーンでもあります。皆さんはどう思われますか?

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2006年8月21日 (月)

NHK プレミアム10「ビートルズの103時間」

ここ数ヶ月、TVというものを見ていなかったのですが、友人のS君からNHKが特集番組をやるということを聞き、久しぶりにTVのスイッチを入れました。プレミアム10「ビートルズの103時間」。

ジョンが六本木の朝日美術(現在「若山美術」)を訪れた時の話がとても興味深かったですね。ご主人の若山さんが娘さんのために、「体操服」にビートルズの4人から書いてもらったサインは初めて見ました。またヒルトンへ骨董品を持っていったとき、ジョンが選んだものはいいものばかりで、直感的にいいものがわかったのだろうか、という若山さんの話はいかにも「ジョン」だなあと感じました。

その他では、いままでホテルのラウンジでポールがピアノを弾いたという話は聞いたことがありましたが、記者会見があった紅真珠の間のステージで弾いたというのは初めて聞いたエピソードです。客もいないわけですから、ポールは新しい曲でも作るつもりで弾いていたのでしょうかね?

それから恥ずかしながら、ポールが帰りに着ていたのは銀座「山形屋」が仕立てた服だとは知りませんでした。写真にも残っている1005号室でポールが着用していたダブルのジャケットは、山形屋が持ってきた採寸用、試着用のサンプルだったのでしょうか?全然違う服でしたので、飛行機のタラップに立ったポールが着ている服が、注文したものだとは全く気づきませんでした。

珍しい映像はあまりありませんでしたが(NHKはここ数年間探していたようです)、当時ビートルズ来日に関わった人たちの話は、とてもおもしろかったと思います。仲井戸麗市が言ってましたが、当時学校でクラスにビートルズファンは2,3人しかいなかったというのは本当です。よく「ビートルズ世代」という言葉が使われますが、これはあとから作られた言葉で、そんなもの存在しないのです。それでも、結果的にビートルズが日本の文化に影響を与えたことに変わりはありませんが。

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2006年8月17日 (木)

1966年という年

1966年は、来日の年というだけでなく、ビートルズにとって大きな転機の年だったと言えます。この年を最後にツアーを行うことはありませんでしたし、フィリピンでの事件、キリスト発言による排斥運動、アルバム「リボルバー」の発表(このアルバムから所謂「アイドル色」が消えたと言っていいと思います。「ラバー・ソウル」は僅かにアイドルっぽさが残ってます)、そしてアルバム「サージェント・ペパーズ」の録音開始と、「転換期」という以上のことが立て続けに起こっており、「大変動期」だったと言えます。因みにジョンがヨーコと出会ったのもこの年です。1967年がロックの最高アルバム「サージェント・ペパーズ」の年という位置づけから考えると、この66年はそのステップとなる重要な年であったのではないでしょうか。この年があったからこそビートルズは更に大きくなれた。その意味から、ロックの歴史においてもこの年は記憶されるべき年であると思います。

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2006年8月16日 (水)

ビートルズ最後の全米ツアー

 1966年8月12日から29日まで、ビートルズは最後のツアーになるアメリカ公演を行いました。ジョンのキリスト発言(「キリスト教は滅びていく。今では自分たちの方がキリストよりずっと有名」というインタビュー内容が同年3月にイギリスの新聞に掲載)がアメリカのティーン雑誌に載り、南部を中心にビートルズ排斥運動が吹き荒れた直後のことでした。

Rimg0552 コンサートは22、27日を除く毎日(1日2回公演が4日あり)予定されていたが、20日のシンシナティ公演が雨のため順延となり、21日はシンシナティとセントルイスの2都市での公演となりました。たとえ35分のコンサートといえども、これは凄いことだと思います。左の写真は66年全米ツアーのプログラム。

Rimg0559_1 この写真は16日に行われたフィラデルフィアのジョン・F・ケネディ・スタジアムでの公演のチケット。66年のツアーなのに、まだデビュー当時の写真が使われています。

 

Rimg0560 この3枚のチケットは、18日のボストン、サフォーク・ダウンズ・レーストラックでのもの。未使用なのですが、この公演はかなり空席が出たらしく、今でも未使用のチケットがよく出回っています。リプロかと思ったのですが、アメリカのオークションに出品されるこのチケットの番号が皆違うので、おそらく当時のものだと思います。

 

Rimg0572これは最後のキャンドルスティック・パーク公演の前日28日に行われた、ロサンゼルス・ドジャー・スタジアムのチケット。                                          

 

 

アイドル的な人気が落ちてきたところへ、「キリスト発言」の影響もあってか、この全米ツアーは空席が目立つ公演が多かったようです。  最後のサンフランシスコ公演でさえ、チケットが大量に売れ残ったとのことです。その時の写真集が出ていますが、たしかに客席がガランとしている感じがします。

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2006年8月 9日 (水)

WINGSについて

よく夏になると「10年前は何していたっけ?」とか「20年前の今頃はこんな曲聴いていたな」とか、ノスタルジックになることがあります。一番よく思い出すのが35年前の1971年、私にとっては高校受験を控えた中学3年の夏休みです。当時まるで受験勉強の邪魔をするかのように、次々といい曲や名作といえる映画が発表されていました。(名画「小さな恋のメロディ」公開やジョン・デンバーの名曲「カントリーロード」のリリースもこの年の夏です)ビートルズの4人もソロでヒット曲を飛ばしている時期でした。(ポールのUncle Albert/Admiral Halsey、リンゴのIt Don't Come Easy、ジョージのBangladesh、ジョンのImagineなど)そのような中で、この1971年はポールのバンド「WINGS」が結成された年でもあります。

下の写真は、左がWINGS結成を報じるイギリスのメロディ・メイカー紙、真ん中がWINGSの会報NO.2(この会報が後に定期的に発行されるファンクラブ誌「CLUB SANDWICH」となるわけです)、そして右がWINGS初期のコンサート・プログラムです。      

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Rimg0520_1                                                                                                       

                           

その5年後の、今から30年前はどうだったか思い出してみました。1976年はWINGSの全盛期で、Silly Love Songsが大ヒット、次にはLet'em Inが続けてヒットとなり、アメリカやヨーロッパのツアーでチケットが完売しているという状況でした。

次の写真は、左がコンサートのチケット(1975年のオーストラリア〔左〕と1976年のイギリス〔右〕)。真ん中の写真がその裏側です。オーストラリアのチケットの裏にはメンバーのサインが印刷されています。右の写真はアメリカとイギリス、ヨーロッパのツアープログラム。

            Rimg0511Rimg0512Rimg0524                                                                                                                  

 

 

実は、1975年には日本でのコンサートが予定されていました。しかし、ポールの麻薬不法所持の前科から入国許可が下りず、来日公演は中止。そのころTBSテレビでオーストラリア公演が放映され、なんとも言えない気持ちで見ていました。下の写真はアメリカのビルボード誌に掲載された日本公演の広告、東芝EMIが準備したプレス・リリース、そして公演中止を伝える新聞記事です。

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1976年を頂点として、WINGSは次第に下降線を辿っていくことになります。

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2006年8月 5日 (土)

これからのビートルズ

40周年記念イベントが終わって、ふと考えたことがあります。これからビートルズはどうなっていくのかと。来年はサージェント・ペパーズ40周年ですが、一般の人の気をひくほどのものではないし、恐らく社会全体では話題にはならないでしょう。一番近いところでは「デビュー50周年」が2012年です。(メンバー個人のことではジョンの生誕70周年が2010年ですが) ビートルズは何かにつけて「~周年」というものが付きまとっていますが、これは商業的な意図のもとでのものが多く、もうそれも限界に来ているように思います。近々シルク・デュ・ソレイユ(皆さん、正しく発音すると「ドゥ」ではなく「デュ」でございます)の『LOVE』で使われる新しいミックスのビートルズのCDが出ますが、ビートルズのニューアルバムでは決してないし。これからの数年はビートルズの存在が薄らいでいくような気がしてならないのです。

でもそれが決して悪いことではないとも思っています。新しいものが生まれる時には、過去のものが忘れられることは歴史を見ても当然のことですから。そのような歴史の繰り返しの中でも語り継がれていくアーティストは、各世紀をみても必ずいます。20世紀は間違いなくビートルズがそうだったと思います。やはり今後も、ビートルズが世の中の話題から消えていっても、必ず生き続けていくと確信はしています。それはうまくいえないのですが、ビートルズが世の中にとって「必要」なもので、残っていく意味があるものだからだと考えます。

京都新聞による、ノーベル化学賞受賞者田中耕一さんと岡田節人京都大学名誉教授の「科学の新世紀」という対談をご紹介して、今日のブログを終えようと思います。何かまとまりませんが。

田中 たぶん理系の人はすべて、技術の進歩、科学の進歩が善だと思いたいし、思ってきた。でも、やっぱりバランスは必要かな。研究者自身が、本当にこの研究をやっていいのか考えるためにも。京都賞の例に戻りますが、バランスが必要かなと思わざるをえなくなってきましたね。

岡田 このままいくと非常にバランスの欠けた世の中になっていきますね。20世紀は、いろんな科学上の大発見はある。では、20世紀後半で、大きな芸術上の成果はありましたか。残念ながらベートーベンもいないしゲーテもいない。ましてルネサンスの巨匠のようなものは出ていないわけで。そういう意味では、かなり貧困な世紀に入っている。科学がのさばってきたから貧困になったとはいい切れませんが。 

 

 -20世紀後半の音楽としてあえて言えば、ビートルズぐらいですか。

 岡田 まあそうですね、ビートルズは言えますかね。いずれにしろ、21世紀は科学以外の訳の分からんものも、もっと幅を利かせてほしいと思うとります。(敬称略)

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2006年8月 4日 (金)

1979年8月4日のジョンとヨーコ

Rimg050627年前の今日、以前紹介しました銀座「樹の花」にジョンとヨーコがやってきました。ショーンが映画を見に行っている間に、ここで静かな時間を過ごしたそうです。そういうことで、本日行って参りました。(笑) 友人のS君と、ジョンとヨーコが座った席で3時間も居すわってしまいましたが、帰り際に店主の成沢さんから、ジョンとヨーコが当日食べ、買って帰ったという自家製のアーモンドクッキーをおみやげにいただいてしまいました。(成沢さんの笑顔だけで十分なのに) 今、そのクッキーを食べながらブログを書いてます。本当に美味しい!

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2006年8月 3日 (木)

ポールの新しいクラシック・アルバム

7月31日にMPLからメールで、ポールの新しいクラシック・アルバムが9月25日にリリースされるというニュースが届きました。タイトルは「ECCE COR MEUM」(BEHOLD MY HEART) 。1991年に発表された「LIVERPOOL ORATORIO」から数えて4作目のクラシック・アルバムとなります。タイトルはラテン語ですが、ポールはLIVERPOOL INSTITUTEに通っていた時にラテン語を習い、現在でも愛着があるようです。

実は、2001年11月10日、OXFORD大学のTHE SHELDONIAN THEATREで行われたこの「ECCE COR MEUM」の初演を留学中の兄が見ており、当時のチケット、チラシ、プログラムを貰いました。当日、故高円宮殿下も臨席され、ポールもステージに上がって挨拶をしたそうです。

左からチラシ、プログラムの表紙、プログラムの中、そして一番右がチケットです。

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2006年8月 1日 (火)

バングラデシュのコンサート35周年

  ビートルズの東京公演40周年の陰に隠れてしまっていますが、8月1日でバングラデシュのコンサート35周年となります。今でこそ大物アーティストを集めての慈善コンサートはあたりまえになっていますが、当時は大変珍しいことでした。今日はバングラデシュのコンサート関係のアイテムと、今まで何故か大好きだったジョージに関するものを扱いませんでしたので、比較的レアなものをここで一気にご紹介します。

Rimg0448_1 まず当時の模様を伝えるROLLING STONE誌です。表紙はジョージですが、記事としてはセンターページに見開きで大きくボブ・ディランが扱われています。長い沈黙を破るコンサート出演ということで「神様」ボブ・ディランの登場は当時の大きな話題だったようです。 

Rimg0378_4 写真は上がUSオープンリール・テープ(英語ではREEL-TO-REEL TAPEと 言います)、左下がUS盤LP、右下がUK盤LP。それぞれ微妙に写真が違うことに気づきます。

Rimg0381_2Rimg0382_3左がUK盤(おそらくリイシュー)、右がUS盤のレーベル。UK盤は光沢があり 、US盤は光沢なしです。                                                           

Rimg0380_2 リール・テープは、カセットが広まる前に使われていたフォーマットで、ビートルズ関係のものは71~72年頃まで存在しました。

                                                                                                                                

Rimg0385_1Rimg0386_4次に82年に再発された「2枚組」US盤LPです。箱ではなく見開きのジャケットです。何故かすぐに回収されてしまい、現存する枚数はかなり少ないと思われます。特にシールドでプロモ・ホールのないものを見つけるのは困難を極めます。                                              

Rimg0390_1 日本版の映画パンフですが、間違えて「左利き」のジョージの写真を使ってしまったものが存在します。レコードではポールの「HI,HI,HI」日本盤シングルのジャケットで、「右利き」バージョンがありました。映画は72年、東京では有楽町スバル座で公開。                                    

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左は映画のポスター、チラシ、葉書です。青いチラシは、日本橋三越劇場で上映されたときのもの。右は初公開時のスバル座の前売りチケット半券です。公開の初日に見にいったのですが、小さなスバル座はぎっしり満員で、私も立ち見をしました。

ここまでがバングラデシュ関係のアイテムです。次にジョージの比較的レアなアイテムを紹介いたします。                                                 

 

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映画「WONDERWALL」 のサントラ盤として発表されたジョージのこのLPにはモノ盤が存在します。一番左側の写真は、左がUK盤モノのLP(ステレオとは別ミックス)、右がブラジル盤モノのLP(ステレオから落としたモノ)。 どちらもレアですが、特にUK盤は希少です。私が数年前にUKのオークションで買った時も100ポンドしました。写真真ん中はUK盤モノ、右はブラジル盤モノのレーベルです。                                                    

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次は「ALL THINGS MUST PASS」ですが、左の写真はフォールドタイプのオーストラリア盤。それほどレアではありませんが、ジャケットが面白いのでここに紹介します。Rimg0420インナーは下の写真のように内側に貼り付けられています。

  

                                                                  

Rimg0421次にブラジル盤モノLPです。これはなかなか見つかりません。見つかっても状態が悪く、針飛びを起こすものが多いです。ボックスの写真は光沢ありでツルツルしてます。やや小さ目のポスター付き。ビートルズのブラジル盤モノLPでは「HEY JUDE」、「ABBEY ROAD」、「LET IT BE」、ポールのソロでは「McCARTNEY」、「RAM」、「WILD LIFE」、ジョンのソロでは「LIVE PEACE IN TORONTO」、Rimg0422「IMAGINE」、リンゴは「SENTIMENTAL JOURNEY」と「BEAUCOUPS OF BLUES」があります。他の国では殆どステレオになっているのに、何故ブラジル(とアルゼンチン)だけモノがプレスされていたかは謎ですが、恐らくラジオ放送(AMモノ放送)の関係ではないかと思います。その証拠に、ブラジル盤モノLPのレーベルには、ラジオ局のステッカーが貼られているものが多いのです。よく「ブラジル・モノ盤なんて…」と馬鹿にする人がいるそうですが、音の面でもかなりいいのです。特にLP「HEY JUDE」は素晴らしいです。見つける方法としてはebayのオークションだと思います。最近では、コンディションのいいものが少なくなって来ていますので、購入するときは十分にチェックしてからにしてみてください。                                                                                                  

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Rimg0428 比較的新しい所では、左の写真の「CLOUD NINE」のUKプレス盤があげられます。かなり枚数が少ないのではないかと思っていたのですが、最近ではUKのオークションでたびたび出品されるようになりました。                                                     

Rimg0429Rimg0430 このLPは見たことがない人も多いのではないでしょうか。CDが幅を利かせてきた1980年代後半には、洋楽のLPは殆ど製作されなくなっていました。そのためこの日本盤「TRAVELING WILBURYS VOLUME ONE」もプレス数が非常に少なく、LPで買う人もいなかったため、現存数は大変少ないと思われます。                                                

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  最後は「LIVE IN JAPAN」です。ドイツ盤はよく知られていますが、実はブラジル盤も存在します。写真の左がドイツ盤、右がブラジル盤です。ブラジル盤のジャケットの方がやや黒っぽく、インナーはドイツ盤が薄い紙を使っているのに対して、ブラジル盤は厚手の紙を使用しています。

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左がドイツ盤、右がブラジル盤のレーベルです。どちらもレコードが殆ど製作されなくなった時代のものですので、プレス数が少なく、世界中のコレクターが探しているのでかなり入手困 難になっています。                                                                                                  

ポールやジョンのLPに比べ、ジョージのレコードは今後高くなっていくのではないかと思っています。(理由はプレス数が少なく、ポール、ジョンほど売れていないから)ダークホース時代のUK盤も今後要注意だと思われます。

今日は大分マニアックにいってみました!

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